オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム〔新訳版〕』上巻

1985年に出版されたSF小説で、執筆時期を考えるとそろそろ古典と読んで差し支えないと思えるものだが、2012年の映画化に合わせて新訳版が発売されたため、比較的若い読者も多い模様。20代の同僚2人から推薦されたこともあって、購入してみたのだが、一気にハマってしまった。

異星人バガーによる二度の侵略を受けた人類は、三度目の侵略に備えるために地球の衛星軌道上に設置したバトル・スクールと呼ばれる施設で、才能のある子供を世界中から選別の上、兵士として訓練している。主人公アンドルー(エンダー)・ウィッギンは、天才的な才能を見込まれてわずか6歳でバトル・スクールに編入させられ、異常とも思える訓練を毎日受けることになる。単に過酷であるだけでなく、当初から司令官の最有力候補であったエンダーは良くも悪くも特別扱いされ、しかし天才的才能があるため不公平とも思える条件の課題をクリアーし続けるが、それにより周囲の妬み嫉みを受け、強い孤独を受け続けることになる――というアウトラインだろうか。

家族とも引き離され(そもそも姉以外とは良好な関係を築けていないが)、バトル・スクールでは「リーダーは孤独に耐えて無理難題に応える存在」という大人たちの問題意識から、常に同僚の少年兵士からいじめややっかみを受ける状態を作り出され、課題も理不尽にエンダーだけが厳しく、またそれを天才的才能で乗り越えてしまうものだから、さらに課題は厳しくなり、同僚の少年兵士からのいじめややっかみや更に大きくなり、孤独が深まっていく。ほとんど20世紀のスポ根アニメかというぐらいの理不尽な仕打ちである上、この鬱屈とした描写が延々と続くため、読みながら10回ぐらいは「昭和か!」「こんな仕打ちで成長すると考えるなど前時代的だ!」と叫びたくなった。読み手としては相当イライラさせられたが、この描写自体に大きな意味があるので、わたしの感想を読んで「読むのをやめます」というのは勘弁いただきたい。物語を読んでイライラするというのは、それほど世界観に没頭させられる吸引力があるということでもあるのだから。

下巻に続く。