オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム〔新訳版〕』下巻

昨日感想をアップしたSF小説の下巻。

天才的才能を見出されたが故に、主人公アンドルー(エンダー)・ウィッギンは地球外生命体の侵略に備えるためわずか6歳でバトル・スクールに編入させられ、兵士としての訓練を受ける。類例のない若さでバトル・スクールを卒業した後も、新たな場所で新たな課題に取り組むことになり、大人たちから優秀な兵士になるための絶え間ないストレッチを受け続ける。

全然関係ない話ではあるのだが、個人的には「少年ジャンプにおける能力のインフレ構造」が頭によぎった。格闘漫画でもスポーツ漫画でも良いが、100のチカラを持った主人公がいたとして、200のチカラを持った敵が登場すると、普通に考えて主人公は負けるはずである。でも負けない。工夫したり、敵の態度に怒ったり、敵の強さをリスペクトしたり、世界の平和を思ったり、友の死を糧にしたりして、とにかく戦いの中で限界を超えて成長すると共に、火事場のクソ力的なチカラを発揮し、200の力を持った敵に奇跡的に勝ってしまう。その直後に、今度は500の力を持った敵が出てくる。主人公のチカラは本来100であり、今まさに奇跡的に、限界を超えて200のチカラを出したところである。500なんてとても出せるはずがない。普通は負けるはずである。でも勝ってしまう。なぜか第2回戦では200のチカラがベースとなり、また色々あって限界突破して500のチカラを持つ敵にも何とか勝ってしまう。すると第3回戦では、今度は1000のチカラを持った敵が……と、どんどん能力がインフレするのである。

閑話休題。言いたかったのは、能力の向上には限界があり、理不尽なストレッチを繰り返して潜在能力を発揮するという発想は、昭和の時代、20世紀では許されたとしても、21世紀においてはたとえ漫画や小説でもあまり気持ちの良いものではないということだ。ただ、この「理不尽なストレッチ」自体が本作において物語構造を決定づけるほどの大きな意義であり、伏線である。個人的には思わず「そう来たかー」と言いそうになった……のはもちろん嘘でわたしは本を読みながら独り言をブツブツ言うようなタイプではないのだが(笑ったり泣いたりはする)、意味もなく立ち上がって部屋を歩き回るぐらいには興奮した。

下巻も後半になると、エンダーを大人たちが過剰なストレッチでいじめ抜く……といった視点からは一段も二段も上の目線で、俯瞰した物語が描かれることになる。地球外生命体とは何か? 侵略とは何か? 対話とは何か? 人類の平和とは何か? なかなか考えさせられた。

一言でまとめると、かなり面白いSF小説だと思う。