玄田有史 編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 単行本
編著者の玄田有史は、若年層や、中高年ながら働けていない人々の労働実態に専門性を持つ研究者である。わたしが考える、一般に知られる彼の最も大きな功績は「ニート」の概念を広めた人物だということだ。でもニートという言葉が広まってからもう15年以上経つんだな。改めて振り返ると、玄田有史が『仕事のなかの曖昧な不安 揺れる若年の現在』や『ジョブ・クリエイション』を書いたのも概ね同時期であり、やはり15年以上が経っている。

さて内容はなかなか刺激的かつ本質的で、書名にもある通り「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」を16組の研究者たちがそれぞれ説明したものである。その解は、一言で書くと「様々な原因がある」かつ「研究者によっても見解の相違がある」という身も蓋もないものになってしまうが、玄田有史によって「需給」「行動」「制度」「規制」「正規」「能開」「年齢」の7つの切り口で各章の内容を整理・解説してくれている。個人的には「第3章 規制を緩和しても賃金は変わらない――バス運転手の事例から」と「第5章 給与の下方硬直性がもたらす上方硬直性」が思うところが多かった。

第3章

バス運転手の技能や知識が年齢や勤続、経験で伸長することはほとんどない。そもそもバス運転手を務めるには、安全かつ快適で時刻表通りの運行ができなければならず、そこには年齢や勤続、経験のちがいが入る余地はほとんどない。年齢や勤続、経験にかかわらず、技能や知識がほぼ同じで、それゆえ生産性も同じと考えられるのがバス運転手だ。

古き良き日本企業では、これでも給与が上がっていた。それは日本経済が右肩上がりの成長を続けていたのと、若手は期待される生産性よりも低い報酬しか得られず、その分ベテランは期待される生産性よりも高い報酬を得ていたからであろう。これは主に生活保障の観点である。年長者になれば育児や介護や自宅購入などもあるので、より高い給与が必要だよねというものだ。しかし例えばアメリカやイギリスでも、いわゆるブルーカラー的な単純業務・単調業務の労働者(工場のライン担当・ガス検針・スーパーのレジ担当など)は、基本的に年齢や勤続を経ても給料が上がったりはしないと聞く。当たり前だ。バリューが変わらないのだから。ここでのバス運転手と同じである。日本でも、バス運転手に限らず、能力やバリューが上がらない仕事は、賃金上昇は難しいということを理解すべきだとわたしは思う。

第5章

第5章は「給与の下方硬直性がもたらす上方硬直性」というタイトルが、内容を端的に表している。簡単に言うと、労基法に代表される労働者保護により日本企業の従業員の「給与を下げづらい」という事実は、「軽々しく給与を上げない」という行動を生んでいるというものだ。これを書くとネット界隈を中心に凄く怒って反論してくる人がたまにいるのだが、わたしは経営者は事実このような思考回路を取ると思う。

 本章では、賃上げや過去の賃金カットに関する情報を含んだ企業パネルデータを用いて、過去の不況期において所定内給与のカットが難しかったという企業ほど、景気回復後も賃上げに慎重になっている可能性(賃上げの不可逆性)があるかを検証した。
 (略)このことから、所定内給与の下方硬直性によって、日本企業の多くが賃上げの不可逆性に直面しており、それが賃上げを抑制する原因の一つになっていると指摘できる。
 所定内給与の下方硬直性は、デフレの進行をマイルドな状態にとどめるという意味では望ましいともいえよう。しかし、その結果、企業にとって所定内給与の引き上げが不可逆的なものになってしまっており、賃上げやインフレが生じにくい構造が生じていると会社希羽することができる。
 1990年代以降、多くの先進諸国では低インフレに直面し、経済学ではそした環境下で生じるリスクの一つとして、名目賃金の下方硬直性が大規模な失業の発生を通じて労働市場の資源配分を歪める可能性について考えられてきた。本章で得られた結果は、名目賃金の下方硬直性は不況が起こったその時点のみならず、その後の景気回復局面においても賃金や価格の上方向の調整を遅らせる影響があることを示唆している。

これは企業単体で解決することの難しい問題だなと思う。