石黒圭『段落論 日本語の「わかりやすさ」の決め手』

文字通り、段落論。なかなかチャレンジングだなと思って買ってみた。

まず第一部は「段落の原理」と称して、箱としての段落、まとまりとしての段落、切れ目としての段落、つながりとしての段落……と、段落を目的・機能ごとに論じている。

次に第二部は「段落の種類」である。第六章「形式段落と意味段落」は学校で習ったので当然知っているが、第七章「絶対段落と意味段落」と大八章「伝統的段落と先進的段落」は、けっこう面白い論が展開されている。あとでもう少し触れます。

最後に第三部は「段落とコミュニケーション」と称して、読むための段落、書くための段落、聞くための段落、話すための段落と整理した後、第十三章「段落の未来」でこれまでの内容を総括している。

著者曰く、段落の運用はツールの進化と密接に繋がっており、特にインターネットやメールでの文章は、段落ごとの一字下げがなくなり、一行空けがメジャーになり、さらにひとつの段落ごとに文字数が減っているが、これは紙文化ではありえないことのようだ。なぜなら、紙は貴重で、読みやすいからと一行空けたり、コロコロ改行するのはNGだからである。これはなるほどとは思うが、まあ想像の範囲内だ。

個人的に面白かったのは、ネットの場合、読み手の興味を引きつけるために、敢えて不完全な場所で段落を変えて、すなわち次のページをクリックさせるような運用がなされているという指摘である。言われてみると確かにそうで、「段落」というものへの視野が凄く広がった。またネットだけでなく本でもそうなのだが、形式上の段落だけでなく、見出しを使って複数の段落をグルーピングするみたいなことも近年は普通に見られるわけで、この見出しも実は段落論に含まれるという著者の指摘、これまたなるほどと目からウロコである。

さらには、ハイパーリンクの登場・一般化によって、段落自体も一方通行的なものでなく、関連先を自由に飛び回る双方向なものになるとか、段落自体が吹き出しのように二次元的に配置されるものになるという指摘もあり、この辺はかなり興味深い。