石黒圭『形容詞を使わない 大人の文章表現力』

形容詞を使わない 大人の文章表現力

形容詞を使わない 大人の文章表現力

  • 作者:石黒 圭
  • 発売日: 2017/11/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
ここでの形容詞とは、必ずしも学校文法における狭義の形容詞ではない。

「嬉しい」に代表される形容詞、「静かだ」に代表される形容動詞、「しっかり」に代表される副詞、「大きな」代表される連体詞などを指す。

まず「はじめに」から一部引用する。

 本書では形容詞を、会話で共感を示すときには便利でも、文章で目に浮かぶように説明をするのには不向きな品詞と考え、文章においては「形容詞を避けることが表現力向上の基本」であると考えます。
 とくに形容詞には、

 ①概括性:大雑把な発想
 ②主観性:自己中心的な発想
 ③直接性:ストレートな発想

という、文章表現上、問題となりがちな三つの発想が含まれます。
 そこで、本書の第1部「直感的な方言から分析的表現へ」では①「大雑把な発想を排する」方法を、第2部「主観的表現から客観的表現へ」では②「自己中心的な発想を排する」方法を、第3部「直接的表現から間接的表現へ」では③「ストレートな発想を拝する」方法をそれぞれ示します。具体的には、①「大雑把な発想を排する」では「描写」「下位語」「オノマトペ」のレトリックを、②「自己中心的な発想を排する」では「数値」「背景」「感化」などのレトリックを、③「ストレートな発想を排する」では「緩和」「反対」「比喩」のレトリックをそれぞれ紹介します。

わたしは上記を読んで目が開かれた気がした。

少し補足をすると、わたしは文章を書くときに幾つか気にかけていたポイントがあった。

ひとつは接続詞(正確には一部の副詞などを含む接続語・接続表現)だ。接続詞をつけると論理展開が明確になる代わりに、人によっては野暮ったくなる。だから接続詞を余韻を生みたいがために接続詞を減らそうとする書き手が一定層いるようだ。気持ちはわからなくもないが、わたしはそれとは違う理由で接続詞をあまり使わない。接続詞はあくまでも「つなぎ言葉」なのだから、接続詞がなくとも一読してわかるロジックとレトリックの文章を書くことが良い文章ではないかという思いである。一時期は無理に使わないようにしていたが、今は自然と減っているのと、あえて「そして」のようなあまり意味のない接続詞を使うこともある。自分なりに、この件を消化したのだろうなと思う。

次が読点である。一時期のわたしは極力読点を打たないような文章を意識して書いていた。読点を打つと、語順や言葉そのもののリズムを気にしなくとも一般的には読みやすくなる。しかし野暮ったい気がする。読点はリズムを整えるだけの記号であって言葉ではない。だから読点がなくとも読みやすい文章を書きたいと思っていた。具体的には、本多勝一が示した原則のような「読点がないと誤読しかねない箇所」と、息継ぎのタイミングだけで良い、そう思っていた。なお、最近の文章は読点がまた増加傾向にある。最近は息継ぎって何だろうなという変なモードに入っている気もする。

本書の「形容詞」という発想は、上記の2つに続くわたしの文章の基本骨格になる気がする。

あとでわたしが思い出しやすいよう、目次に書かれていた各章のタイトルも引用しておく。小見出しは割愛。

第1部 大雑把な発想を拝する 直感的表現から分析的表現へ
第1章 あいまいさを避ける[限定表現]
   (「すごい」「おもしろい」のあやふやさを避ける)
第2章 個別性を持たせる[オノマトペ]
   (「おいしい」「痛い」のありきたりを避ける)
第3章 詳しく述べる[具体描写]
   (「かわいい」「すばらしい」の手軽さを避ける)

第2部 自己中心的な発想を排する 主観的表現から客観的表現へ
第4章 明確な基準を示す[数量化]
   (「多い」「さまざま」の相対性を避ける)
第5章 事情を加える[背景説明]
   (「忙しい」「難しい」の根拠不足を避ける)
第6章 出来事を用いる[感化]
   (「はかない」「せつない」の感情表出を避ける)

第3部 ストレートな発想を拝する 直接的表現から間接的表現へ
第7章 表現を和らげる[緩和]
   (「嫌いだ」「まずい」の鋭さを避ける)
第8章 裏から迫る[あまのじゃく]
   (「くだらない」「つまらない」の不快さを避ける)
第9章 イメージを膨らませる[比喩]
   (抽象性を避ける)

なお「はじめに」と「目次」は物凄く刺激を受けたが、肝心の内容は事例をひたすら挙げているだけであり、あまりピンと来ない人もいるかもしれない(可能な限り「緩和」した模様)。