向井蘭『教養としての「労働法」入門』

書名のとおり、人事労務や法律に詳しくない人に向けて労働法を解説した本。特徴としては、アメリカの労働法、場合によってはヨーロッパ諸国などの労働法と比較している点だ。

個人的には、やはり第2章「解雇と裏表となる規制」が興味深かった。

そもそも日本の解雇規制は厳しいのか否か、という話がされることがある。ネットでは「厳しくない!」と大暴れする人たちが一定数いるため要注意の議論なのだが、冷静に考えて、やはり日本の解雇規制は厳しいと思う。というよりも、解雇規制だけでなく給与の減額などにも厳しいと思う。普通の会社でまず「降格」などありえない。しかし長年成果が出ていないのなら、普通に考えて降格するかクビにするのが妥当であろう……と書いても、感情的に騒ぐ人たちは後を立たないわけで、結局は本書のように海外の労働法と比較するのが妥当だと思う。

まずアメリカにおいては、本書を紐解くまでもなく、解雇規制は緩いことで有名だ。日本の労働基準法に相当するアメリカの法律は、FLSA(The Fair Labor Standards Act(公正労働基準法)」である。ここで重要なのは、ここでのFair(公正)とは労使間の公正を指すのではなく、一定のルールを定めて企業間競争の公正性を確保するためのものである。日本の労働基準法が労働者保護を目的としたものであることと好対照であろう。したがってアメリカの場合は政府がなるべく民間企業の労使関係に介入する程度を減らし、契約の自由を重んじ、労働者保護の規制も少ないという特徴を持つ。

当然、解雇規制も緩やかだ。アメリカでは雇用者と労働者はあくまで対等の立場で契約を締結している。その結果、機関の定めのある契約ではない被用者は、いかなる理由によっても、あるいは何らの理由なくして解雇され得る。これをat-will employment doctrine(随意雇用原則)と呼ぶ。アメリカ労働法の考えは、能力や成績等本人の努力で改善できる理由で解雇をすることは構わないが、人種・性別・宗教・国籍・年齢等本人の努力では如何ともしがたい理由で解雇をすることは許されないというものだ。この差別に対する考え方は採用にも影響を及ぼしており、有名どころでは、履歴書に写真を貼ることを禁止する州(人種や性別がわかり差別に繋がりかねないため)や、年齢の記載を禁止している州(年齢差別に繋がりかねないため)がある。また宗教や政治思想について質問をすることは明確に禁止されている。

ヨーロッパはどうだろう。詳しい議論は本書に譲るが、簡単にまとめると、まず個別解雇については日本と比較して殊更に容易というわけではない。日本と同様、相応の理由が必要だし、事前にアラートを出したか、改善指導をしたかなどのエビデンスが場合によって求められるようだ。一方、経営上の理由による整理解雇は実施しやすいと言える。整理解雇は業績不振や事業の縮小・撤退など企業側の一方的な理由による解雇だから、労働者側に非があるわけではないし、報道されるとマスコミや世間の反発も強い。制限・制約も非常に厳しい。それなのになぜヨーロッパ諸国では容易なのか? これは雇用契約がジョブ型雇用であるからだ。つまり雇用契約締結時のジョブがなくなれば、契約を終わらせるしかない=あなたの仕事も当然なくなるでしょう、という理屈である。この辺は完全に同意であり、メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用の上澄みを中途半端にかじっている人は、ぜひ本書を読むべきだと思う。

加えると、本人の業績不振による降格や解雇も、その理屈だとメンバーシップ型雇用よりもジョブ型雇用の方がはるかに容易になる。あなたに「課長」の役目が果たせないなら、「課長」は辞めてもらうし、「係長」には空きがないから契約継続はできず、「会社」も辞めてもらう他ない、という理屈だ。単に転勤したくないとか営業をやりたくないといった浅い理由でジョブ型雇用を持ち上げている人は、ジョブ型雇用になった後、自分の雇われるチカラ(エンプロイアビリティ)がどれだけあるかをかなり慎重に見定めて生き残る算段をつけておかねば、後で大変後悔することになるだろう。まあわたしは一部のスペシャリストを除けば、解雇規制も緩めて雇用流動性も高めて職なんて服を着替えるように変えれば良いだろうって本気で思っているので、当然その未来に少しでも近づくジョブ型雇用には賛成なんだけど、保守的でリスク回避的な日本人のどの程度が、そうした未来に耐えられるかは甚だ疑問である。

この他にも、同一労働同一賃金、定年制、年次有給休暇、労働時間(とは何かという議論を含む)、昨今流行りのセクハラ・パワハラ、労働組合などなど、色々な解説がある。

若干カタい文章なのだが、内容は決して難解ではない。興味のある方は手にとって損はないだろう。