三簾真也『幼馴染とはラブコメにならない』1〜10巻

昭和から平成初期のラブコメの多くは「KY」と「すれ違い」で出来ている。前者は、片方もしくは双方が相手のことを好きだというのは傍から見ると丸わかりなのだが、当の本人だけはその現実に気づかずツンデレな対応を取ったり無関心を装ったりする。そして後者は、デートの待ち合わせだの何だのといった重要なシーンで頻繁に電車が遅れたり見知らぬ婆さんの世話を焼いたりといったトラブルに巻き込まれ、物理的なすれ違いが発生する。この物理的なすれ違いと気持ちのすれ違いがリンクして物語が盛り上がるわけだ。

この2つ、前者はコメディ局面、後者はシリアス局面で多いが、どちらも狙いは明らかだ。要するに、展開を遅くして、クライマックスシーンに進ませないようにしているのである。簡単に両思いになったら物語が終わってしまうが、ただ進まないだけでは面白くないので、物語が進まない=面白いという構図を作品の中に埋め込まなければならない。そして上手く埋め込む=物語を遅らせることで、読者、ひいてはキャラクターを盛り上げているのだ。でも前者はイマドキ流行らないし、後者に至ってはスマホで簡単に連絡が取れるので成立しなくなってしまった。

そんな中、昭和のラブコメロジックを、微妙なのか絶妙なのか、とにかく変わった味付けで復活させているのが本作であろう。平成中期から後期のハーレム要素も取り入れ、幼馴染の美少女たちが代わる代わる主人公にアタックしていくわけだが、主人公は「彼女たちは全員ガキの頃から遊んできた幼馴染なのだから恋愛展開になることはないだろう」という強固な思い込み一択で、恋愛フラグをブチ折っていく。ここにはKY(昭和にはKYという言葉はなかったが便宜的にこう書いておく)とすれ違いが同時に存在している。面白い……と書こうと思ったのだが、そもそもこれは面白いのだろうか。最初は面白かったけれど10巻もこれやられると、個人的にはもう完全に飽きてきた。このまま行くと幼馴染の女は20人を超えるだろう。