雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』1巻

ここは今から倫理です。 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

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本書を読みながらぼやーっと昔のことを考えていたのだが、生徒が今の自分だけの力で何ともできないような事態、すなわち「悩み」が仮に発生した時、どんな先生だと助けてほしいと思う、もしくは助けになるのだろうか? もちろん不真面目・不誠実なタイプは論外なのだが、熱血タイプや道徳タイプでもないように思う。少なくともわたしは、正論や建前論で何とかなるような悩みなら、真に他人に相談しようなどとは思わない。

これは大人になっても同じである。もちろんこれは人によって差はあるのだが、正論や建前論、すなわちロジックで何とかなるものは大した悩みではない。やれば良い、以上、となるわけであるから、相談の意味はない。少なくともわたしはこの手の問題について誰かに相談はしない。

しかしロジックで何とかなることはわかっているのだが、そのアクションを取れない事情がある場合がある。あるいは、ロジックでは何ともならないことがある。例えば以下のようなケースが該当する。

  • 人が人を嫌うとか、人が人をいじめるという場合。そこに合理的なロジックで憎悪やいじめが発生したのかというと、それは違うような気もする。取るに足らないような出来事の積み重ねや、単なる第一印象や、下手したら空気みたいなもので無視やいじめは発生する。他にも、思春期特有の何とも言えない焦燥感。これに対して大人が「今だけだよ」「君のその焦りはありきたりでちっぽけなものだよ」「嫌われないように振る舞えば良いんだよ、原因がなくなればいじめもなくなる」と言って解決するとは到底思えない。
  • 仕事がつまらないという場合。仕事がつまらないなら、自分から動いて面白くするか、面白い仕事に転職ないし異動するか、今の仕事を面白いと思い込むか、今の面白くない仕事を受け入れて妥協するかしか、論理的には方策はないわけである。しかし、そのロジックを突き付けて悩める社会人の葛藤が綺麗になくなるとは到底思えない。

すなわち、真に他人に相談したくなるような、一筋縄で行かない問題の場合、相談する側は心のもやもやを吐き出したいのだが、かといって受け取った側はそう簡単にアドバイスを送ることができないという問題が発生する。ロジックでは決められないのだが、ポジションを取るしかないという性質のものがある。どうしようもないんだけど、吐き出すしかない性質のものがある。

わたしは、真の悩み相談は、多くが2種類に大別されるのではないかと思っている。ひとつは、専門的な知識が不足しているがゆえの相談。本人は見えていないのだが、その道のプロからすると解決策が明白なことも多い。例えば、資産運用。例えば、汚部屋。

もうひとつは、相談という名の愚痴である。ロジックや知識で解決できるものではなく、結局のところ、自分で考え抜いて、リスクテイクして決断するしかない種類のものである。しかしながら、この決断そのものをアウトソースする機能もなくはない。それが「占い」であり、「宗教」である。人生の決断を他人の決断力や神秘性に委ねるのだ。わたしはそれをすることはしないが、人生に対するスタンスは人それぞれであるから、特段それを否定するつもりもない。

閑話休題。本作に戻ろう。主人公は、熱血タイプでも道徳を説くタイプでもない、けど不真面目・不誠実でもない、どちらかと言えば淡々と役割をこなしているように見える倫理教師。そして本作の舞台となる高校では、倫理は選択科目である。積極的に倫理を選択した人は少なく、多くは人気科目の選択に漏れた等の「成り行き」である。しかし人生を深く考えるという目的において、倫理は時として強い力を持つ。そして生徒が少しずつ救われていくのである。いや、自分自身で自分を救うための武器を手に入れるという方が正確かもしれない。倫理そのものは人を救わない。自分が自分自身を救うのだ。

余談

わたしは、ベタだが、アドラー心理学を読んで少し達観したような気がする。悩みとは結局、自分の問題であり、人間関係の問題である。ぜひ読んでほしい。
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