今野敏『隠蔽捜査』

隠蔽捜査(新潮文庫)

隠蔽捜査(新潮文庫)

実はドラマ化もされているらしいのだが、個人的には初耳。知人に紹介されて読んでみたのだが非常に面白かった。

ジャンルとしては警察小説である。探偵小説と同じく、何らかの事件を捜査して解決する推理モノと言えるのだが、踊る大捜査線の名言「事件は会議室で起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ!」に代表されるように、警察モノとなれば大体、頭の固いキャリア組だの上層部だのといった奴らとの、確執というか衝突というか、まあそういうものがドラマのひとつの軸になりがちという印象である。

だが本作は違う。本作の主人公は、通常は忌み嫌われるべき「キャリア組」であり、「上層部」なのだ。わたしはそもそも、「警視庁」というのが「○○県警」の東京版の組織に過ぎず、全国組織を「警察庁」ということすら初めて知ったぐらいなのだが、本作の主人公は「警察庁長官官房総務課課長」という、まあエリート中のエリートである。しかも本人の性格としても、自分がキャリアであることを強烈に自覚し、本人の私利私欲ではなく公のために頑張るべきだという、いわゆる「官僚らしさ」を突き詰めた、ある種のステロタイプの極地であろう。

勘違いしてはならないのは、「官僚らしさ」というステロタイプから思い浮かべる「前例踏襲」「形式主義」「上意下達」に忠実な官僚では全然ないということである。主人公は偏に「原理原則」に忠実な官僚であり、自分がキャリアというエリートとして、いかに振る舞えば良いかを常に考え、行動している。つまり頭の固い厄介な人物ではあるのだが、原理原則を突き詰めた結果、例えば「面倒な形式をすっとばす」とか「訳のわからない横槍をすっ飛ばす」ことができる。そのことで部下は助けられ、全幅の信頼を寄せられるようになるのだが、同時に、上司からは「面倒な奴だ」とも思われて、よく内部の監査対象に選ばれたりするわけである。

さて本作のモチーフは「警察官による殺人」である。よく他の作品でも「警察官殺し」と「警察官による殺し」はかなり独特の重みを持って扱われる。警察官という職業は、責任と忙しさの割に、なかなか報われないとは思う。刑事なんかは、休暇中に県外に遊びに行くことすら躊躇われる世界であると聞く。海外など「もってのほか」であろう。巷で話題の働き方改革など全く関係ない世界だろうし、多くの国民も無関心である。教師や病院関係者の超過労働については稀に取り上げる記事があるけれど、警察関係者の超過労働を取り上げている記事など読んだこともない。だが、超過労働は事実である。事実なのだが、国民の生活を守っているという誇りや使命感のようなものが、彼らを支えてくれているのだと思う。そんな中、警察官による殺しが発生すると、警察官の心中はかなりナイーブだと思う。それまで報われない中で頑張ってきた警察官を守りたいという気持ちもあるだろうし、自分たちの組織を守りたいという気持ちもある。

その騒動に主人公は見事に巻き込まれてしまうのである。周囲は何とか警察官による殺しを「隠蔽」しようとする。隠蔽することで、自分たちの組織を守ろうとする。一方、主人公は、全てを明るみに出そうとする。ここには、「隠蔽すること」ではなく「明るみに出すこと」で警察組織が守られる筈だ、という警察組織への愛情もあるのだが、同時に、警察組織はたとえ相手が誰であっても容疑者を捕まえて真実を明らかにせねばならないという「原理原則」にどこまでも忠実なのである。

そんな中、大学受験を控えて浪人中の息子が、何と薬物に手を出すという、これまたとんでもない問題が家庭内に立ち上がる。家族と離婚しただけでも体裁が悪いとされている中、家族が薬物に手を出したとなると、キャリアとしてはもう終わりである。息子の経歴にも(まだ社会に出てすらいないのに)大きな傷がつく。普通に考えると、キャリアとしての今後を考え、どうにか「隠蔽」しようとする筈である。事実、主人公も隠蔽を画策した。しかし主人公は悩み始めるのである。原理原則からすると、たとえ自分のキャリアとしての将来が終わり、息子の経歴に傷がついても、罪を発見したら、たとえ相手が誰であっても容疑者を捕まえるなり自首させるなりするべきではないだろうか、と……。

つまり本作は、2つの事件の「隠蔽」を縦軸と横軸に、物語が進んでいく。

2つの「隠蔽」がどうなったかは、ネタバレの類に属するだろう。ここで書くのはやめておく。しかし主人公らしい原理原則に則った決断がなされたとわたしは思う。

大推薦の作品である。