ヤマシタトモコ『違国日記』8巻

前半は、親友の女の子の性的指向・性自認がテーマ。

一言で書くと「女性が好きな女性」ということでレズビアンということになるのだろうが、この辺はねえ、色々と難しかったりします、と書くと他人事みたいだが、皆の想像以上に多くの人に関連する問題である。性自認、性的指向(誰が好きか)だけでなく、社会的にどう見られたいかとか、女装趣味・男装趣味も広い意味ではジェンダーの類と言って良いだろう。最近だとノンバイナリーやアセクシャルという概念も広まっている。そもそも作中で登場人物が発する「なりたいわたしになる」というのは、ジェンダーマイノリティに限らず多くの人間が痛切に思っていることではないだろうか。

後半は、亡くなった父親がどんな人間だったかを聞いて回って調べたい(探偵)という主人公のアクションが発端。しかしこれがまた難しい。

そもそもこの父親は、人並みの感情というものを十分に育めていなかった人間の可能性がある。いわゆる「コミュ障」「サイコパス」などとカテゴライズすれば楽なのかもしれないが、実態は捉えていない。まず通常「コミュ障」というと、他人とのコミュニケーションに苦手意識を持ち、上手くコミュニケーションが取れないという人を指すと思う。しかしこの父親は苦手意識の前に、そもそもコミュニケーションを上手く取る気がなかったり、一般的な人が一般的に抱く感情の幾つか――ないし大部分を、上手く育めていなかった人のように見える。でも冷血ロボットではないようだ。自分がそうした人間であることに悩みのようなものがあり、その意味では「サイコパス」という概念でも実態は捉えていないだろう。

さらには、必ずしも親ならば子を無条件に愛するとは限らないようだというエピソードも挟まれる。

これどうなるんだろう。一旦ここで止めても良いような気もするし、9巻でも続くような気もする。深いなあ。