『鉄の骨』@Netflix

全5話。

大学の建築学科を出て、中堅の建設会社に就職した主人公は、現場が大好き。しかし若手では異例とも言える「業務部への異動」という辞令が出る。わたしは建設業界は全くの素人だが、本作を見る限り、業務部は発注者とコミュニケーションして仕事を取りに行くが、単なる営業ではなく、資材メーカーとの価格交渉・調達業務もやっている。大規模案件における各種調整+購買+営業という機能を持っているように見える。

サラッと「各種調整」と書いたが、この調整という言葉がキモである。「調整」の中には「談合」も含まれる。

そもそも談合は「犯罪」であり、「やってはならないこと」ではあるのだが、本作を見る限り、談合は必要悪だと捉えられており、当然のように談合は行われている。なぜか? 談合がないと際限のない価格の叩き合いになるからである。赤字受注までもが発生する。そんなことをせず一定の利益率の案件だけ取れば良いだろうという話もあるのだが、実際はそういうわけにも行かない。なぜ赤字受注や、それを防ぐための業界全体での調整=談合が発生するのか? ドラマから理解したレベルの話だが、おそらく以下のような要素がある。

まず第一に「実績作り」がある。実績のない会社が実績を作るためには赤字覚悟で受注するケースがどこかで出てくる。

第二に「運転資金」だ。建設業界はどこも業績や資金繰りが厳しく、たとえトータルでトントン、下手をすれば赤字の案件でも、手元の運転資金のために受注せねばならないケースがあるようだ。

第三に「過去のしがらみ」だ。大半の建設会社が談合を止めたいと思っていても、これまで「調整」という名の下に作った貸しは、しっかりと返してもらいたい。返してもらってから談合を止めるのが妥当な損得勘定というものだ。しかし物事はそう簡単ではない。返してもらうために、さらに小さな貸しを作ったりして、この貸しも返してほしいと思うかもしれない。また、貸し以上に大きな問題として、借りがある。借りを返さぬまま抜けると業界からは総スカンだ。総スカンでも良いじゃないか、得しているだろうと感じる人もいるだろうが、これまたそう単純ではない。

第四に「業界構造」がある。建設業界は多重下請け構造になっている。なぜ多重下請け構造になっているかドラマでの言及はないが、一般論で言うと人件費や工賃だと思う。仮に大手一社で対応しようとすると、単純作業も大手社員の人件費や工賃で対応せねばならない。日本企業はジョブ型雇用ではなくメンバーシップ雇用であるから、付加価値が低いとみなされている低付加価値業務や単純業務をやらせる場合でも、人件費の高い人材がやることになってしまうからだ。しかし普通に考えてそれはもったいないから下請けに出す。そして建設業界は、とんでもない規模の企業から、社員数名のファミリー企業まで規模は様々だし、人材も専門家から労働力だけを提供するフリーターまで様々だ。この複雑なポートフォリオの組み合わせで仕事の受注と遂行が成り立っているのである。話を戻すと、この業界構造ゆえに、いくら大手企業でも一社だけで仕事をやることはかなり困難だ。他の企業の協力が不可欠なのである。

第五の要素も語りたいが、さて、仮にこの業界構造が崩れたらどうなるだろう? 例えば大手企業が下請けに限界以上の強烈な値下げ圧力をかけて潰してしまったら? もちろん下請け企業に断るチカラがあれば潰される前に値下げ要請を断るだろう。しかし第二で書いた運転資金の兼ね合いから、下請け企業は、赤字でも運転資金のために仕事を受注せざるを得ないケースがある。これを繰り返せば、元締めの圧力で潰れることは本当にあるだろう。その結果、下請け企業の利益を元締めが吸い上げているのだから、短期的には元締めである大手企業が儲かることになる。建設業界や製造業界といった下請け構造の強い業界では、事実こうした話もあった。日産のカルロス・ゴーンが多くの下請け企業を潰したのは有名な話だ。わたしはカルロス・ゴーンの日産リバイバルプランに感銘を受けた人間だが、その裏側で血が流れたことを無視するつもりもない。話を戻すが、元締めが短期的な利益を追求して下請け企業を潰してしまったらどうなるだろう? その結果、安い価格で発注する先がなくなるから、その元締め企業も中長期的には大変なダメージを受けるのである。これを何と呼べば良いだろう? 生かさず殺さず? それはあまりにも厳しい表現だから、仮に「一蓮托生」とでもしておこう。

第四と第五の派生として、第六に「セーフティーネット」がある。リスク分散と言い換えても良いかもしれない。第四で挙げた業界構造自体もリスク分散の一環ではあるのだが、ドラマを見る限り、建設業界はJV(ジョイントベンチャー/ジョイベン)を組んで大型の入札案件に対応することが多々あるようだ。これは過去のしがらみの結果でもあるし、強みを補い合っているという話でもあるし、リスクとベネフィットの分け合いの話でもある。そして、このリスク分散は、JVのような少なくとも表向きは真っ当な話だけではなく、資金繰りが厳しくなった建設会社を救うための「救済談合」という形でも表れる。このドラマでも出てきていたが、例えば、仮にある工事の発注企業であるホニャララ百貨店がいきなり潰れて、自社に数百億円の損失が発生したとする。これは本来その建設会社の与信の甘さという話に尽きるので自己責任ではある。あるのだが、自己責任だから数百億円の損失がドンと発生した建設会社を前に「死んでください」と突き放すと、一蓮托生の業界構造が潰れる。それに企業の与信判断の甘さと一口に言っても、与信先が粉飾をしている可能性もあるし、与信先の取引先、さらにその先といった読み切れないリスクの顕在化による玉突き事故の可能性もある。どこまで行っても、こうした与信事故を100%防ぐことは難しく、自社で起こっていた可能性だってある。つまり「明日は我が身」であるから、業界としては極力、救っていくしかないという発想になり、事実、救済談合という形で救っていたようだ。そしてこの救済談合は、強烈な貸し借りを産み、第三で挙げた「過去のしがらみ」に結実するだろう。

わたしは建設会社の知見は一切ないが、このドラマを見るだけで、ニュースや社会の授業で見聞きした程度の「談合」への解像度がめちゃくちゃ上がった。なるほど、確かに建設業界は、この業界特有のエコシステムに強く縛られているようだ。そして、ビルやマンションを作ることで多くの人間の夢に関与できるという程度の青臭い若者だった主人公は、こうした血みどろのエコシステムに足を踏み入れ、葛藤しながら成長していくのである。

そうそう、銀行に勤めた主人公の彼女は、正論で「でも談合ってやっちゃ駄目なことだよね」と言い、彼女の上司は「学生時代とは価値観が変わるから」的なことを言っていた。この発言は、彼女の方が銀行でコンプラ意識が高まって凄いことだよ、一方流されるだけの主人公は駄目だよねという背景で彼女の上司が発言しているのだが、とんでもない! 正論だけなら小学生でも言える。理想と現実、過去と現在、現在と未来、企業と個人の間で葛藤する主人公の方が、彼女よりも爆発的に成長しているのである。

めちゃくちゃ面白い作品だ。

なお、池井戸潤の小説が原作で、テレビドラマ化されたのはWOWOWの「土曜ドラマW」である。

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さすがWOWOWさん、サイコーっす!