「うれしい」「かなしい」「おこっている」などの感情をそのまま「うれしい」と書くと、直接的すぎて文章に広がりがない。
別の表現で「うれしい」を表現できないか?
その問いに答えるのが本書である。
驚くような表現は少ないのだが、パッと書けと言われても書けそうになく、その意味では参考になった。
「うれしい」「かなしい」「おこっている」などの感情をそのまま「うれしい」と書くと、直接的すぎて文章に広がりがない。
別の表現で「うれしい」を表現できないか?
その問いに答えるのが本書である。
驚くような表現は少ないのだが、パッと書けと言われても書けそうになく、その意味では参考になった。
タイトルが「なろう系」のそれだな。
タイトルで概ね表現されているので、まあタイトルを読んでくださいという話になる。
文章はおそろしく汚くて読みづらいのだが、内容的にはまあまあ面白い。
いつもの呉智英という感じで、面白いのだが、ひとつずつの文章量が短く、若干物足りない。もう少しだけで良いから長めの文章で、しっかりと世の中を論じてほしい。
同じ作者の『ぎんなみ商店街の事件簿』が面白かったので買ってみたが、こちらも面白い。
というか尖っている。
本作の主人公はフーリンという金貸しの長身中国人美女で、探偵役は
事件の細かな設定は本書に譲るとして、本作が特徴的なのは、探偵役のウエオロが「奇蹟」を本気で信じ、それを証明したいと思っている点である。だから難しい事件が入ってくると、ウエオロは「これは奇蹟なのではないか」と喜んで仮説を「否定」して回る。
探偵はフツー仮説を精査して「肯定」して回るのだ。「これがトリックだ」「これなら人が殺せる」と。しかし本書は逆だ。この場の全員が共犯者だとか、死んだと思ってなかったけどその時は死んでなかったとか、犯人は漫画さながらに幼少時から毒を摂取しており毒耐性を持っていたとか、およそトリックとは言えない精度でもぜんぜん良くて、とにかく他の人が荒唐無稽なトリックの仮説を出す。そしてウエオロはあらゆる仮説を否定する。あらゆる仮説を否定し、どんなトリックでもゼッタイ人を殺せないという「悪魔の証明」が証明できれば、これは奇蹟としか言いようがないから奇蹟の証明になる――と、こういう論法である。
話題になっているというので前情報ゼロで購入&読了。前日Brother編を読み、今日Sister編を読んだところである。
郊外というか田舎の「ぎんなみ商店街」を舞台にいくつかの事件が起こり、それをBrother編では4兄弟、Sister編では3姉妹が活躍して謎解きをするというアウトラインである。
面白いのがここからで、何となくわたしは、Brother編/Sister編それぞれにしか無い情報や謎解きがあって、両方を読むことで完全な謎解きができるというような本なのかなと思っていた。そう思う人は多いと思う。しかし本書のメタ的なトリックというか仕掛けは、そうではない。
ネタバレを気にしない人は以下を反転して読んでほしい。
Brother編とSister編は、同じ設定、同じ情報なのに犯人やトリックが変わるのである。
あー、そう来たかと。
これはなかなか新鮮な読書体験。
文章も読みやすいし、中高生ぐらいが読んで、どっちが好きとか言い合ったりしそう。
PwCは、世界が直面する喫緊の課題を「ADAPT」として警鐘を鳴らしてきたそうだ。
本書では、これらADAPTについて解説した本……と思いきや、DXを再定義した本ということのようだ。
これからのトランスフォーメーションとは、企業を取り巻く競争環境への適応に加え、パンデミック、地政学リスク、気候変動や災害などの突発的なゲームチェンジに対応する恒常的な変革・進化力を保持することだと考えている。そのためデジタル化にはどのようなものがあるのかという現時点の答えより、継続的に変化・進化するために最初に持つべき考え方の基本的な枠組みと、具現化するための加速化策にこだわったのである。
なんか凄くチグハグだな。
DXに取り組む際、確かにナショナリズムやポピュリズムの台頭に備えようとはしていない。社会を支える諸機関への信頼低下問題に対しても同様だ。しかしそれで良いだろう。DXとは各企業が顧客接点をデジタルで変革することを指すことだとわたしは理解している。そこにポピュリズムや国連が入り込む隙間などないように感じる。それは本書の読了後でも同様の感想だ(ただしCOVID-19の対応については当然意識すべきだと思う)。
また冒頭の大所高所が終わって具体的な解説に入ると、「PwCの考えるDX全体像6+2」という枠組みが出てくる。
これ自体は一定の納得感がある。しかし最初の6つと付け足された2つの格差が酷く、だからこそ冒頭で感じたチグハグ感が更に強調されている。
語り口は易しいが、内容はけっこう細かい。
個人的には「そんなことまでSDGsというか脱炭素なのか」という話が多く、参考にはなった。
でも自分の専門外なので、すぐ忘れそうだなー。
以前読んだ『シンギュラリティの経済学』の第二版。これ読んだの2016年か……時の流れは早い。
詳細は2016年で書いた上の感想を読んでいただくとして、ロボットに給与を払うという発想は今読んでも面白い。
というか政治では、もっとこういう本質的な話をしたほうが良いと思うんだが、おもくそどうでも良いことを与党も野党もやっている。
長く使えるものは価値が高いだの、ゴミが出ない簡易包装は価値が高いだのといった、SDGs的な価値観とそれを体現した商品・サービスを紹介した本。かなりの数の商品・サービスが紹介されている点は凄いと思うが、「SDGsアイデア」と言えるほどビビッと来るものは僅少。
片っ端から何でもログを取って(ロギング)仕事をしましょうという本。
悪くはないし、関心のある領域なんだけど、あまり響かなかった。もう少し丁寧に読み返してみるかな。
元ボスコンの経営コンサルタントで、独立後は経営コンサルタントの肩書に加え、未来予測とイノベーション戦略の専門家、経済評論家、フューチャリストなどを標榜して色々な書き物を発表している方。本作は著者の得意技である「未来予測モノ」のひとつだが、面白いのは「こういう変革がなされれば日本経済は復活する」という前提で書かれていることだ。
著者のような未来予測の専門家だろうが、わたしのような素人だろうが、「日本の先行きが暗い」という見立ては残念ながら同じである。日本人の大多数も同じだろう。むしろ達観して受け入れている。しかし著者は、10の「魔改造」によって2040年の日本経済は復活することが可能だと説く。以下の「魔改造」は著者が書いた記載そのもの、レベル2のインデントはわたしが著者の言葉、あるいはそれを素に少し加工してわたしが補足したものである。
わたしは、著者が掲げる10の魔改造に対しては基本的に賛成だし、以前からこうすべきだと思っている。著者は、いずれの案も、どこまで行っても3割程度の反対者は残るだろうと書いている。わたしも残念ながら同意せざるを得ない。しかしながら、ロジカルな思考力と思考習慣があり、古き良き日本を守って衰退することよりも、変化を受け入れて日本が素晴らしい国になってほしい人間は、基本的にこれらの案を支持するはずだし、支持すべきだと思う。
もちろん全てに賛成するかどうかは置いといてね。
わたし個人の考えを補足すると、まず、魔改造7の原発再稼働は不要だと思う。しかし理由は、火力発電を延命させろという意味ではない。むしろ火力発電はほとんど死に絶えるだろう。サステナビリティは今、物凄い「うねり」で動いており、2050年までに世界中でかなりの再エネ関連の動きが出てくると思うから、原発を慌てて再稼働させる必要はないと考えているだけである。次に、最も驚いたというか、自分にその観点がなく唸らされたのは魔改造3だ。わたしは1978年生まれで、10代後半で自分と社会の行く末がどうなるのだろうと気になり始めた頃から、急速にWindowsだのネットだの2chだのiMacだのという進化を目の当たりにしてきた世代である。だからデジタルネイティブ世代以上に、本書の言う「メタバース経済」すなわちデジタル化を前提とした経済になっていくのだろうなという思いがある。しかしその行き着く先は『マトリックス』の世界線だろう。今でもそうだ、全てがネット上で完結し、想像力に裏打ちされた未熟で歪なファンタジー世界と搾取前提のソシャゲだけが楽しみという方は増えていると思う。誰かと会ったりペットと暮らしたりどこかに出かけたり美味しいものを食べたり綺麗な夜空に感動したりする社会は魅力的だし、まずは「実態経済と実態社会ありき」だとわたしも思う。それが著者の書く「モビリティ経済」であり「モビリティ大国」だ。
最後に、本書に反論・反対する人たちに向けて著者が浴びせかける「冷や水」についても触れておこう。
これらの魔改造に反対する人たちは、3割ぐらいいるだろうと著者は述べている。そのとおりである。極端すぎるという人もいるだろう。しかし現実は、10の魔改造のいずれも、実はじわじわと魔改造の実現に向けて動いているという「冷や水」だ。
そりゃそうである。リニア新幹線が東京ー大阪間を2027年に繋ぐことは現状おそらく不可能だろう。しかしいつかは必ず実現する。アメリカや中国に比べて遅れている日本の自動運転事情も実は今年(2023年)福井県でレベル4の実証実験が行われた。原発だって空気を読んでいるだけで再稼働はいつでもできる状態で、また今のままの火力発電所頼みでは脱炭素社会に移行できない。移民だって年々増えている。そして上で書いた通り国の借金だって年々増えている――そう、日本の「魔改造」すなわち「改革」に必要なのは、変化の「スピードと規模」であると著者は説く。わたしも深く同意する。いつもながらのクソみたいな日本のままでは、おそらくじわじわと100年がかりで現実追従型の変化が起きるだけで、完全に世界に取り残されるだろう。「失われた○十年」という言葉も死語になる。日本社会と日本経済の未来は、永遠に失われるのだから。
著者の言うように、先手を打って、圧倒的なスピードと規模で日本社会を変革していくしかないと思う。
それが著者の言う「魔改造」の正体だ。
変えたくない人、考えたくない人、認めたくない人にとっては「不都合な真実」だと思うけれどね。