ポール・ストラザーン『90分でわかるキルケゴール』

本書の序文が印象深かったので引用しておこう。

実存主義は、人々に何かを信ずることを要求しない。それどころか、絶望を抱くことは避けられないと主張する。人間である以上、絶望を感じないわけにはいかないというのである。
(中略)
では、哲学の専門家はどういっているのだろうか? 「存在とは何か」など、滑稽な問題にすぎない。そんなものは、問うてはいけない問題なのだ。あるいは、「存在とは何か」という問題には、自分の哲学が完璧な答を与えたから、ほかの人が頭を悩ます必要はもはやない。こういうのである。
ところが、キルケゴールは違う。一人ひとりの人間が、「存在とは何か?」「実存とは何か?」を問わなければならない。そして自分の人生全体を使って、主体的な答えを導き出さなければならない。そういうのである。

これを読んで、実存主義とは自分自身に対する責任を厳しく問う思想だなと感じた。ただ、あくまでも本書を一読する限りの疑問だが、全人生をかけて「存在とは何か?」「実存とは何か?」を問うて主体的な答を導き出さなければならないと言われても、俺を含めた弱い人間は果たして自己の存在を徹底的に見つめることなど出来るんだろうか? 主体的な答など導き出せないのではないか? 弱いなりに自己を見つめていくことはとても過酷な行為だと思う。

なお、キルケゴールの最終的な結論は「キリスト教的な生き方をしろ」ということなのだそうだ。おいおい、その結論は何だいジョニー? キリスト教を否定する訳じゃないけれど、それは上に引用した実存主義的な生き方ではないだろう? それとも実存主義とキリスト教には深い繋がりがある? 俺は哲学にも宗教にも詳しくないので深入りしないでおくが、何だかなあという感じではある。