村上春樹『約束された場所で』

300冊目を飾った『アンダーグラウンド』の続編となる書である。本書は単体としても大きな意義を持っていると思うが、『アンダーグラウンド』を補完する意味合いを持っているため、ぜひ2冊セットで読んでほしい。

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『アンダーグラウンド』では、インタビューの相手は被害者だった。(オウムにばかりマスコミの興味が向かう中で)あの朝“本当に”何が起こったのかを村上春樹は被害者の日常的な「実感」から掘り下げていった。それに対して本書におけるインタビューの相手はオウムの信者や元信者である。いわば「加害者」の側に立つ彼らが地下鉄サリン事件をどのように受け止めているのか(あるいは受け止めていないのか)が、前著と同じように、やはり彼らの「実感」として語られていった。

きちんとニュアンスを伝えられるか自信はないが、本書のインタビューの相手の多くに通底する、いくつかの興味深いことがある。それは(村上春樹も言っていることだが)オウムの信者や元信者の多くが、オウムで過ごした日々自体は、オウムの犯した罪とは関係のない、非常に貴重でかけがえのないものであると考えていることだ。さらに、オウムあるいはオウムの教義そのものが孕み持つ矛盾や暴力性が必然的に地下鉄サリン事件を引き起こしたと考えているというよりは、教団あるいは麻原が「暴走」したことが原因として地下鉄サリン事件が引き起こされたと考えている人が多いことだ。

それらは、俺にとってはかなり意外なことだった。今も信者を続けている人はともかく、マインドコントロールから解放された元信者であっても、オウムでの生活をかけがえのない時間だと依然として捉え続けているのである。それが何を意味するのかは、簡単に言えることではない。そのことの是非も俺にはよくわからない。しかし、少なくとも本書のインタビューがとても大事なことを示唆していることは確かだ。