関根正明『さわやかなほめ方』

俺がバイトで非常勤講師として働いている塾では、これを教員に推薦しているようだ。納得できるところも少しあるが、どうも「ムリヤリ誉めてねえか?」と思うところが多々ある。

例えば、ある生徒が遅刻をしてしまったとする。いつもは寝坊することなどないのだが、その生徒の家はとても忙しく働いていて、その日たまたま母親が寝坊してしまったらしい。その生徒は遅刻した理由をきちんと誠実に先生に伝えようと努力した――なるほど、これなら怒らなくても「そうか、なら気にしなくて良いから、席についてエエで」「そうか、それなら仕方ないね、次からは気をつけや」くらいで良いかもしれないと俺も思う。だが本書では「普通は遅刻したらそのままサボりたくなるところなのに、よく頑張って遅刻しても来たネ! スゴく偉いネ! みんなで拍手しようネ!」となるのである。ちょっとキモくないか。

別の例。ある生徒が遅刻常習犯で、何度注意しても遅刻が治らない。そこで先生が一言。「君が遅刻をするのは、君が人間だからだよ! 人間だから、君が意志を持っているから、君の意思で遅刻するんだよ!」

さらに別の例。ある生徒は、あろうことか「遅刻しても誰にも迷惑かけてへんやん。迷惑かかるって言うけど、ソイツが集中してないから、俺が遅れて入ったくらいで集中を乱されるんやろ」などと言っている。そこで先生は一言。「君は論理的な考え方ができるんだネ! 素晴らしいわ! その点、私なんかは女だからか知らないけど、論理的な考え方ができなくて困っちゃうわ」

もう本を返してしまったので正確な記述ではないが、このようなニュアンスで切り返していくと上手く行くのだそうだ。って上手く行くとは到底思えませんが! 特に2つ目と3つ目が良くないと思う。2つ目については、ルールを破ることは良くないことだとわかっているのにルールを破る奴に対しては、問答無用でピシャリと怒るべきでは? 3つ目のようにルールや倫理そのものを否定する場合も同じで、ルールや倫理は「教え込む」ことが重要なんだと思う。少なくともそれが教育の役目ではないだろうか。だから、教え込むためなら時に上意下達の形になっても良いし、「ルールや倫理が守られない」ということ自体を厳しく責めても良いと思う。正しいか正しくないか以前に、教育が社会秩序の形成に果たす役割を考える際、これは不可欠だ。さらに3つ目は「誉める」ことに必死になるあまり、教員自ら男女差別的なフレームで発言している。

相手を誉めたり認めたりすることは確かに重要だろう。ただそれは場面や妥当性を無視してまでムリヤリやるべきものではない。相手に気に入られようと誉めたり認めたりすることを乱発したところで本末転倒である。相手はウザいだけで、逆効果だろう。大事なことはTPOなのだ。