東浩紀『網状言論F改』

東浩紀のサイトで、斎藤環の『戦闘美少女の精神分析』という本を題材に数人で討論を行う「網状言論」というコンテンツがあったそうだが、個人サイトの限界もあり、尻切れトンボ的に議論が終わってしまった。しかし、そのまま終わらせるのは勿体無いので、それを引き継ぐ形で「網状言論F」というシンポジウムを開催したそうだ。本書は、そのシンポジウムでのプレゼンや討論をベースとして組み立てられている。

第一部のプレゼンテーションについてだが、東浩紀は『動物化するポストモダン』の内容と大差ない。他には、第二部で東浩紀と対談する斎藤環と小谷真理のプレゼンテーションは興味深かった。第二部は、東浩紀、シンポジウムのきっかけになる『戦闘美少女の精神分析』を書いた斎藤環、小谷真理の3人による対談である。対談は、哲学(デリダ)をベースとする東浩紀と精神分析(ラカン)をベースとする斎藤環の対立を軸に進むが、非常に興味深い。

東浩紀と斎藤環の対立を大雑把に整理すると、第一点が「オタクを考える際ジェンダーやセクシュアリティがどれだけ重要な問題なのか」というものだ。東浩紀はそれほど大事ではないと考え、『戦闘美少女の精神分析』を書いた斎藤環は決定的に大事だと考えている。そして第二点が、実は第一点と相関的なものなのだが、「オタクの消費行動をどのように捉えるべきか」ということだ。東浩紀は集団の動物的な反応から捉えようとするが、斎藤環は個人の主体性から捉えようとする。この対立は「ラカン理論がどれだけオタク分析に有効なのか」と言い換えられるだろう。

東浩紀とフェミニズム批評をベースとする小谷真理の関係も非常に面白い。小谷真理が東浩紀に「性差の問題とかセクシュアリティの問題に話が行くのを避けようとしているように思える」「とくに自分に飛び火するのを激しく避けている」と指摘するところは、思わず唸らされる。まあ1冊や2冊で問題の全てを論じることは不可能だが、オタクの「萌え」という反応をセクシュアリティから逃げて論じることは確かに的外れという感じを覚える。小谷真理は精神分析の素養も持つため、基本的に斎藤環寄りだったと思うが、けっこう鋭い指摘をビシビシするな、侮れないな、という印象を持った。

3人の立場やベースとなる理論は異なるが、それぞれが鋭い論客なので、オタクやオタク系文化、特にオタクとセクシュアリティに興味を持った人は、ぜひ読んでみたら良いと思う。けっこうオススメ。