日垣隆『頭は必ず良くなる』

頭は必ず良くなる (ワックBUNKO)

頭は必ず良くなる (ワックBUNKO)

野球のオフシーズンにTBSラジオで放送されている科学対談番組「サイエンス・サイトーク」の書籍版。以前は新潮OH!文庫で出されていたが、新潮OH!文庫そのものがなくなってしまったこともあり、版元を変えて出している。
「頭が良い/悪い」という言い回しはごく一般的に使われているが、一旦「『あの人は頭が良い』というのは、記憶力が優れていることなのか、難関校の入試に合格したことなのか、頭の回転が速いことなのか、それとも臨機応変な判断力のことなのでしょうか」という問いかけを行うと、頭の良い/悪いという表現が実はとても曖昧な前提で話されていたことがすぐに明らかになる。もちろん「頭の良い/悪い」ということの概念は人によって異なるだろうし、同じ人によってもケースバイケースで異なるだろう。また異なっていて良い。ただ俺が問題だと感じるのは、こうした「それぞれの認識が異なりますよ」という前提条件が了解・共有されていないまま議論されているシーンが実に多く見受けられているテーマだという点である。また誤解も多い。ゆとりだの生きる力だのと国民総評論家のごとく皆が声高に語っているけれど、皆の認識が違って誤解が蔓延していたら、まともな議論なんてできないよ、そんなの。
本書はテーマの交通整理も兼ねた本でもあるのか、池谷裕二・岸本裕史・佐藤達哉和田秀樹という(前作『天才のヒラメキを見つけた!』 の羽生善治川島隆太岡野雅行養老孟司畑村洋太郎の5人に負けず劣らず)「ど真ん中ストレート」なゲストと対談している。俺が面白いと思った対談は池谷裕二和田秀樹だが、特に『海馬』で脳科学ブームの先鞭をつけた池谷裕二の対談は良かった。脳科学といえば最近は茂木健一郎ブイブイ言わせているが、一昔前は池谷裕二であろう。脳の働きという見地から、門外漢には「目から鱗」な面白い発言をいくつも見ることができる。

池谷 神経細胞の数は生まれたときが最も多く、成長するにつれて次々に死んでいきます。一日に数万個も死んでしまうこともある。今この本を読んでいる間にも、毎秒たくさんの数の神経細胞が死んでいます。けれども日垣さんがおっしゃるとおり、神経細胞のネットワークは歳をとるにつれてどんどん綿密になっていくのですよ。ネットワークが綿密になっていけば、今までAとBの記憶はまったく別モノだとk名が得ていたとしても、神経細胞のネットワークの中で突然芸術的に結びつくことがあります。異なった知識が連想、連合、統合して理解されるのです。
有村アナ 一つの神経細胞から出ている枝葉は、どれくらいあるのでしょうか。
池谷 平均すると一万程度ですね。記憶に関係している神経細胞については、さらにその数倍まで枝葉が分かれます。小脳では一つの神経細胞につき、最大一〇万まで枝葉が分かれると言われています。
日垣 神経細胞そのものの数が少なくなったとしても、細胞の結びつきが増えていけば、記憶の可能性は何百兆、何京という数にもなりかねない。想像すると、すごいことです。

これなどは、量が質に転化するという実体験を脳科学の見地から説明したことであろう。脳細胞は、1つの脳細胞が1つの物事を覚えているのではなく、様々な繋がりの中で理解・記憶されているのである。この前提をきちんとみんなが認識すると、「ゆとり」か「学力」かという無意味な二項対立で紛糾することなく生産的に話し合えるだろう。どのような知識や経験をどのような時間やレベルで教育すれば、子どもが自分の知識をマッピングして自分で考えることができるか、そしてそのためにはどのような教育手法が必要とされるか、という議論である。以前から思うのだが、「ゆとりか学力か」などキーワードだけが先走りしてちっともデジタルじゃないし、不毛な論点だ。当然「ゆとりも学力も」だろう!
まあ、このブログで俺が「質より量」標榜して多くのインプットに努めていることは、脳科学の見地からもそれほど間違っているわけではないようだ(読書は単なる俺の趣味なので勉強と一緒にはできないが)。

有村アナ 記憶のネットワークについて、密度を濃くするために私たちができるのはどんなことでしょうか。
池谷 とにかく脳にどんどん情報を入れてあげることです。コンピュータは使えば使うほど性能が落ちていき、そのうちガタがきてしまいます。脳はまったく逆で、情報を入れてあげればあげるほど、それに順応してキャパシティも増えますし能力も上がるのです。
有村アナ 毎日根を詰めて新聞を読んでいますと、頭が疲れてしまうときがあります。
池谷 基本的に脳は疲れないんですよ。実際は目が疲れているのです。私の場合、目が疲れたら今度は耳で勉強するようにしています。

「脳は疲れない」という指摘は前に読んだ池谷裕二の本の中で最も刺激的だったものの1つである。付け加えれば、脳は歳をとってもその処理能力自体は衰えないという指摘にも勇気をもらった。まあ脳の得意分野は変わっていくので、必ずしも50代60代で小学生のような暗記作業がスムーズに行くかどうかは別問題だけれど……。

日垣 試験にも仕事にも、必ず期限や納期があります。いつまでにやらなければならないという締切がなければ、仕事は成り立ちません。「いつでもいいから原稿を書いてください」などと言われたら、一年経っても二年経っても手をつけないことになりかねない(笑)。「締切効果」と一般に言われますけれども、ただ漫然と取り組むより締切に向かって仕事や勉強をすることによって、記憶力や仕事の内容が高まるのではないでしょうか。
池谷 脳科学の世界に「締切効果」という言葉はありませんので、今初めて聞きました(笑)。納期や期限は、人にプレッシャーを与えます。これは非常に重要なことです。危機感が強くなりすぎてもいけませんが、ある程度の危機感を常に持ち続けることは記憶力を高めます。動物にとって危機意識は非常に重要なことなのです。(略)
有村アナ (略)記憶力を増強するために有効な方法は、期限を決める以外にどんな方法があるのでしょうか。
池谷 例えば部屋の温度はちょっと低めにするのが良いでしょう。寒いという状況は、危機感をあおるのです。冬にコタツに入ってぬくぬくし、ミカンの皮をむきながら勉強する。そんなことでは頭にあまり入らないはずです(笑)。むしろ寒いときには暖房をちょっと弱めにしたほうが、危機感が高まり記憶力が高まるでしょう。勉強もはかどるでしょうし、頭も冴えると思います。危機感を応用するといろいろな勉強法が考えられますので、皆さんもいろいろ工夫してみてください。

単に俺が暑がりだということもあるのだが、俺は昔から学校や塾・職場の温度は少し寒いくらいがちょうど良いと思っている。男性と女性では快適と感じる温度が違う(男性20℃/女性28℃)と聞いたことがあるけれど、これからは本書が「エアコン温度戦争」の重要な理論武装の元ネタになるだろう!