村上春樹『走るときについて語るときに僕の語ること』

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることと一口に言っても、村上春樹は長距離ランナーである。粘り強く淡々と誠実に物事に取り組む性格も長距離ランナー向きだろう。しかし村上春樹が走り始めたのは案外遅く、33歳である。作家としての体力や持久力をつけるために走り始めたそうだ。そしてそれからずっと走り続けている。ランニングを始めたのは33歳だが、とても60歳を前にした人間とは思えないほどハードにトレーニングをやり続けているし、体つきも見事にシェイプされている。

本書は、そのような村上春樹が「走ること」について書き下ろしたメモワール(個人史)である。村上春樹と走ることは切っても切り離せないものであり、当然、彼の小説世界とも不可分の関係にあると俺は思っている。そのため俺はこのような本が出るのをずっと前から密かに願っており、非常に面白く読んだ。

本書を読んで思うのは、本当に村上春樹はストイックな小説家だということである。そのように感じるのは、辛いマラソンやトライアスロンにハードに取り組んでいるからではない。村上春樹は、小説を書くために走り、小説を書くために体を鍛え、小説を書くために食生活に気を配り(これは単なる嗜好の問題も大きいが)、小説を書くために規則正しい生活をし、小説を書くために読者とのコミュニケーションを定期的に(そして非常に深いレベルで)行い、小説を書くために日本を離れて外国で暮らし、小説を書くために小説家とは思えないほど積極的に翻訳を行って滋養を得ている。村上春樹の生活のほとんどは小説を書くためにある、という意味で「ストイック」だと俺は感じるのである。この独特の生活スタイルは、努力や性格だけでは決して成し得ないことで、やはり村上春樹ならではの才能なのだと再認識させられる。

それにしても最近の村上春樹の仕事は、人生の集大成というか仕上げというか、何だか「まとめ」に入ったみたいに思え、複雑な気持ちである。何しろ、この何年かで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳して、『グレート・ギャツビー』を訳して、『ロング・グッドバイ』を訳して、村上春樹翻訳ライブラリーを出し始めて過去の翻訳に手を入れ、これまた村上春樹と切っても切り離せない音楽の評論集『意味がなければスイングはない』を出した。翻訳家としての自分のスタンスを記した『翻訳夜話』と『翻訳夜話2』も出した。走ることについては本書を出した。フランツ・カフカ賞も受賞している。まあ体を鍛えまくっているから数年で死ぬようなことはないと思うが、このまま『夜はやさし』と『カラマーゾフの兄弟』を訳したら、気持ちの上で「上がり」になるんじゃないかと少し心配になってしまう。