酒井穣『英会話ヒトリゴト学習法』

英会話ヒトリゴト学習法

英会話ヒトリゴト学習法

著者は『はじめての課長の教科書』で日本の組織とキャリアについて語り、『あたらしい戦略の教科書』でボトムアップ&ミドルアップからの戦略について語った。


で、著者の次なるテーマは何と「英語」である。そう来たかー。最初は意外に感じたが、これではっきりした。著者は出版業界(というのか?)における自分の立ち位置に対して極めて戦略的であり、そしてこれからも戦略的に振る舞うだろう。
著者の本は、オリジナリティのある内容もそうでない内容も、それらは(ほとんど全て)著者のキャリアと密接に結びついた上で語られている。そしてそのキャリアは、日本とオランダという2つの国をクロスオーバーするという日本ではユニークなものである。だから著者が語った内容を、他の人間が二番煎じで説得的に語るのは意外に難しいし、これまで他の人間が語っていなかったことを語れている。戦略的と書いたのは、著者は自分の歩んできたキャリアのユニークさに自覚的で、(良い意味で)そのキャリアを活かしたアプローチでこれまでもこれからも本を書く、ということである。
自分のキャリアを活かした本を書くというのは、当たり前のことかもしれない。しかし俺の読書経験(あるいは立ち読み経験)を振り返ってみると、その人のキャリアを活かせていないビジネス書は多い。単に書き手や出版社の能力・コンセプトが未熟である場合は仕方あるまい。しかし難しいのは、著者の一人ひとりは物凄く優秀で輝かしいキャリアを形成しているのだが、その書き手の「突き抜け方」自体がありふれていて、目次どころか書名と巻末の著者略歴を見るだけで、本の内容の予想がつく、という場合である。

  • ああ、これは売り込みの本なんだな……
  • こっちは著者の体験談からの帰納的ノウハウが半分&自慢話半分か……
  • これは営業法則をロジックで語ろうとする本だな……
  • これはマッキンゼーやボスコンで学んだ論理的思考力を解説する本だろう……
  • リクルート流なんてのは1から10まで想像つくぜ……
  • これはノウハウ本だけど個人の体験談以上のものは無いだろうな……

嗚呼、この種の「予想のつく」本がどれだけ多いことか!
つまり書き手が(自身の言葉に説得力を持たせるため)自らが築いてきたキャリアを活かそうとするが故に、書く内容が予想できて、コアな読み手の心には響かなくなるという逆説が発生しているのである。(これもイノベーションのジレンマか?)
この「凄いけれどもありふれたキャリア」というのは意外に奥が深く、最近ではもう(例えば勝間和代のように)本のコンセプトやプロモーション戦略を相当練り上げなければ、このジレンマは突破できないのかもしれない、とすら思うことがある。まあ今まで書き手や出版社が甘えていただけで、プロなら勝間和代くらいのことはやって当然なのかもしれないけれどね。
さて肝心の本書の内容については、単なる英語学習書としても目から鱗だったが、むしろ社会人の能力そのもののブレークスルーが著者の狙いだろう。本書のキー概念は「アルターエゴ」である。ここでのアルターエゴとは、一言語=一人格という前提に基づいた「日本語ではなく外国語で考える自我」という程度に考えれば良い。著者は、英語「を」勉強し、英語「で」考えることで、英語学習者にアルターエゴが発生して、その結果(本来的な意味での)自問自答が可能になり、思考の密度や深度も飛躍的にアップする――という主張をしているのである。
この主張が正しいのかどうか、英語の全く話せない自分が判断を下すことはできない。少なくとも俺にアルターエゴは生じていないと思う。ただ、例えば俺は、オンとオフでは言葉づかいが違う。仕事をするときには後輩に対しても必ず「私」であり、プライベートでは基本的に「俺」である。そしてオンとオフでは、標準語と関西弁という違いがあり、敬体と常体という違いがある。で、もちろん当初は使うシーン(オンorオフ)が言葉づかいを規定していたのだが、今では言葉づかいそのものがある程度「思考回路」を規定するのではと思うことが稀にある。オフなら絶対に怒るような後輩の失敗でも(俺は短気である)、仕事の場で怒鳴るようなことなんて絶対ない。ビジネスシーンだからというような前提をすっ飛ばすような事柄であっても、「私」である間の俺は絶対に怒鳴らないのである。もちろんオンとオフの言語構造は同じだから、この些細な体験から日本語と英語の関係を比べるのは少し無理があるけれども、もし使う言葉によって思考回路が異なるなら、アルターエゴという存在の可能性を想像する程度の仮説を立てても罰は当たらないだろう。