博報堂ブランドデザイン『思考停止ワード44』

極めて優れたコンセプトを持った本である。
そして肝心の構成や中身が極めて残念な本でもある。
本書は、もう少し丁寧に作れば現代日本の会社文化や労働体質・意思決定構造が孕む問題をピンポイントでえぐり出せる可能性があったのに、その大いなる期待は見事に裏切られてしまった、というのが私の総評である。
繰り返すが、思考停止ワードというコンセプトは凄く面白い。まあ今のレベルだと続編は買わないが、数段レベルを上げて続編を書いてくれたら、また大いなる期待と共に購入したい。
以下、長文になったが、いつもよりも少し丁寧に感想を書いてみる。

構成

本書では、44の思考停止ワードを「漢字系」「カタカナ・英字系」「ひらがな系」の3つに分けて、それぞれ第1部・第2部・第3部で解説しているのだが、まずこの区分けがそもそも全く意味不明である。本書では色々と意図や効果を述べているのだが、ほとんど意味があるとは思えない。意味があるのは、それらの言葉がどのような理由で「思考停止ワード」と呼べるのか、ということだろう。そのことを著者は心の底ではわかっている、すなわち(厳しい言い方をすれば)自分たちが広告代理店らしい表層的な誤魔化しで読者を煙に巻いていることを自認できているからこそ、著者は「おわりに」で、思考停止状態を引き起こす原因を整理し、思考停止ワードを「4つの傾向」で再区分しているのである。それが「横並びになる」「目的を見失う」「過去にとらわれる」「私を棚に上げる」という区分けなのだが、こちらの方がよっぽど説得力がある。正直この「4つの傾向」自体にも実は言いたいことがあるのだが、少なくとも区分の意図は理解できる。何故この4部構成で本書を執筆しなかったのか、理解に苦しむ。
さて、「おわりに」を更に読み進めると、思考停止を改善するキーワードとして、4つの傾向ごとに、「目的を見失う」には「スピリット」、「過去にとらわれる」には「未来志向」、「横並びになる」には「らしさ」、「私を棚に上げる」には「共創」というキーワードを紹介して、以下のようなもっともらしい言葉で締めている。

日々の仕事のなかで、4つのキーワードを課題としてつねに意識し、重視するように心がけていけば、少しずつかもしれないが思考の体質は改善されていくはずだ。そして、それはいずれ私たちの行動を変え、ビジネスを変え、社会を変え、未来を変えるのである。

ちゃんちゃらおかしい。
私に言わせれば「未来志向」や「らしさ」や「共創」という言葉が既に思考停止ワードに他ならない。思考停止ワードにより陥った思考停止ワードを改善するために「キーワード(思考停止ワード)」を処方箋として紹介するとは! マッチポンプというか、ミイラ取りがミイラになると言うか……開いた口が塞がらないとはこのことである。執筆者の上司や編集者は、まともにレビューをしたのだろうか?

思考停止ワードの選出方法

44の思考停止ワードの中には、まあそうだよねと全面的に賛同できるものもある。例えば「時間がない」は、まさしく思考停止ワードであろう。また「ゆとり世代」や「差別化」や「イノベーション」も完全に賛同できる思考停止ワードだ。
しかし44個の思考停止ワードを眺めてみると、思考停止ワードではないと言い切れるほど強く否定できる言葉は少ないものの、どうも納得感に乏しい。正直「様々な企業やビジネスパーソンの実態をよく把握しているはずのコンサルティング専門チームが作ったのなら、これは入れといてよ」という言葉がかなり多く入っていない。そして「これは確かに思考停止ワードだ!」と膝を打ちたくなる驚きを持った言葉はほとんどゼロである。
このもやもやとした不満の原因は、思考停止ワードの選出方法にあると思う。本書では、思考停止ワードを以下のように選出したそうだ。

 ワードの選出にあたっては(略)企業に勤めるビジネスパーソン1000人を対象に、「どのようなときに思考停止していると感じるか」と問いかけてエピソードを募った。
 そして、そのなかからキーワードをピックアップし、筆者のチームでスタッフの体験談や問題意識も交えながら議論や検討を重ね、もっとも重要と思われるものを抽出して……(略)

私は、スタート地点の問いかけがまず誤っていると思う。思考停止状態に陥った人間が、たとえ過去のこととは言え、どこまでその思考停止状態を認識できているかと考えた際、甚だ疑問だからである。当事者の抽出ではなく、数多くのコンサルティング事例や行動観察といった第三者目線をスタートにワードの選出を行うべきではないか?

私が思い浮かべた思考停止ワード

先ほどの「構成」でも書いたが、思考停止ワードで重要なのは、それらの言葉がどのような理由で「思考停止ワード」と呼べるのか、ということだろう。

自責

そう考えた時に、私が思考停止ワードとして最初に思い浮かんだ言葉は「自責」である。
これは発言者が既に思考停止状態に陥っている結果として発せられる言葉なのだが、コンサルティングで現場に入ると、この言葉はクライアントからよく耳にする(ついでに言うと自分の上司からも聞く)。自責という言葉自体は別に悪くないのだが、この言葉を口にする人間は大体が上司や経営者である。そして大体が、部下や従業員の分析を途中で否定し、彼らの至らなさを責めたり、成長を促したりする場合に多く登場する言葉である。しかし極論すると部下や従業員が未熟で成長しないのは、上司や経営陣の責任である。それなのに言われた側は立場上「お前もな!」と言い返すことはできないのである。
上司や経営者が思考停止状態で「自責」で働けと言った途端、組織全体がもやもやとした不満と共に、緩やかな思考停止状態に突入する。そして本来やるべき環境分析や改善提案もが「他責」という言葉の下、一蹴されるのである。

課題

定義が曖昧だったり、各人の定義が違っていたりするのに、なぜかきちんと言葉の意味が確認されることなく思考停止状態のまま使われ続けることで、後に多大な不利益を被ってしまうタイプの思考停止ワードもある。私が思考停止ワードと聞いて二番目に思い浮かべた言葉は「課題」である。
課題という言葉は、人や状況によって、相当に意味が異なる。例えば、プロジェクトワークにおいて課題の棚卸しをしましょうと言われた時に、ある人は単なる残Task(検討すべき内容)や残To-Do(具体的なアクションリスト)を洗い出しているのだが、別の人はProblem(Taskの円滑な遂行を妨げてマイナスの影響をもたらす事象)を洗い出している、ということがある。そしてさらに別の人はIssue(根本に関わるのに、白黒の決着が付けられていない問題)を洗い出しているのである。だから私は、会議やプロジェクトワークで「課題抽出」「課題整理」「課題対応」といった言葉が出たら、必ず気を引き締めるようにしている。
なお私は、課題という言葉を使う時には大体「Taskの円滑な遂行を妨げ、プロジェクトにマイナスの影響(コスト増とか品質低下とかマイルストーン変更とか)をもたらす事象」のことを「課題」と呼ぶことが多い。しかし例えば、To-BeとAs-Isのギャップが具体的な事象レベルで発生していることを「問題」と呼び、その問題の裏返しとして、問題の解決策を定義したものを「課題」と呼ぶ、という人も多い。そして実際に、私もこういうニュアンスで課題という言葉を使うことがある。
まあ自分自身ですら複数の意味合いで課題という言葉を使ってしまうのだから、最近は行き違いを避けるため極力「課題」という言葉を使わず、タスク・ToDo・問題・解決策・イシュー等々、都度適切な他の言葉を使用するように努めている。また、どうしても使う必要がある場合も、課題という言葉の定義・意味合いをきちんと添えるようにしている。

ケイパビリティ・バリュー・ビジョン・生産性・イノベーション

大した意味や意図もなく使われるが、何となく格好良いので、言った方も言われた方も耳障りの良い言葉に酔ってしまうタイプの思考停止ワードもある。これは本書で言う「カタカナ・英字系」が多く当てはまるだろう。私が思考停止ワードと聞いて三番目に思い浮かべた言葉は「ケイパビリティ」で、四番目は「バリュー」、五番目は「ビジョン」なのだが、全てこれに合致する。しかもこの3つの思考停止ワードはコンサルティングファーム外資系では特に頻出する。
さて、いいかげんキリがないので最後にするが、六番目に思いついた思考停止ワードは「生産性」で、七番目は「イノベーション」である。「自責」「課題」「ケイパビリティ」「バリュー」「ビジョン」はどれも本書に載っていないが、「生産性」と「イノベーション」の解説は本書に載っているため、興味のある方は本書を参照してほしい。*1

個々の思考停止ワードの解説

全体的にロジックは甘く、キーワードや雰囲気で押し切ろうとしている。しかし博報堂ブランドデザインという会社が「左脳的思考と右脳的思考の融合」をモットーにしているそうなので、仕方ないかな。このモットーを前提として受け入れるならば、気楽に読めて直感的に理解できるし、必ずしも悪くはないと思う。

*1:正確には「効率」と「イノベーション」である。