坪谷邦生『人材マネジメントの壺 テーマ3. 評価:人事評価の不満の真因は仕組みではなく信頼関係にある』

元リクルートマネジメントソリューションズの方。個人出版のような形でテーマ別の入門書を7冊も出しており、気になったので順次読んでいる。第3巻のテーマは評価である。第2巻の「等級」を読んだときに「この人わかっているな」と書いたが、評価についても同様だ。

少し細かい論点になるが、「コンピテンシー」について書かれた本の多くは、間違っている。コンピテンシーとコンピテンシーモデルを混同して、コンピテンシーを単なる行動特性や行動例と捉え、コンピテンシー評価を行動評価だと誤解しているのだ。コンピテンシーはコンピタンスから来た言葉で、要するに能力だ。著者も「能力だ」と明言している。

さて、徹頭徹尾コンピテンシーは能力なんだが、アメリカでは訴訟社会だから能力というふわっとしたものを評価する際に、ふわっとしたままでは困る。だから膨大な行動例や行動基準・その行動に必要となるスキルをコンピテンシーモデルやスキルディクショナリとして整備して、様々な観点で評価の基準を明確に準備しておかなければならない。それを日本にそのまま持ち込むと、結局職務記述書のようなものと大差がなくなる。

もうひとつ、アメリカでは元々ジョブサイズや職務に応じた任用や報酬決定がメインで、上のポストを担う人がいなくならない限り、昇格できない、すなわち報酬が上がらないという問題があった。もっと言うと、報酬に応じた仕事内容だから、経験を積むには転職してその仕事や責任を任されるアサインが必要となる。だからある会社で何年か働いて仕事に慣れたら、報酬を上げるために、もしくは経験の幅を広げるために転職するのである。日本のように社内でジョブローテや職務内容の拡張をしながらキャリアを積むような形ではない。能力評価が浸透してきたのは比較的最近だと思う。

つまりコンピテンシーとコンピテンシーモデルを混同している人と、日本とアメリカで能力評価が受け入れられてきた背景を考慮していない人、その2つの過ちを犯した人がコンピテンシーを中途半端に広めてきたとわたしは思う。