魯迅『故郷』

故郷

故郷

  • 作者:魯迅
  • 発売日: 2012/10/05
  • メディア: Kindle版
中学だか高校だかで読んだ『故郷』を久々に読みたくなり、青空文庫でゲット。翻訳が違うのだろう、昔感じたニュアンスと微妙に違うのだが、思い出が変質する様――特に権力や経済や身分制度によって否応なく変質させられる様が物悲しく迫ってきた。あるいは、単に時間の流れでも変質するのだろう。

余談(こちらの方が長くなってしまった)

故郷と聞いて思い出すのは、わたしの場合、やはり広島だ。8/6だが、今日はヒロシマではなく、単に広島だ。わたしは元々広島に住んでいたが、小学校卒業とともに父親の転勤に伴い大阪に引っ越し、それ以来広島は「遠くに在りて思うもの」であった。しかし、これも作品の持つ力なのだろうか、広島のことが頭にどんどん浮かんできて、改めて広島のことについて書きたくなってしまった。

数年前の年末に、小学校卒業以来25年ぶりに広島の五日市に寄って半日ほどひたすらブラブラしてみたことがある。広島のことは今でも愛しているし、広島出張は数十回あるが、広島には親戚がおらず、もはや小学校時代の友達との付き合いもなく、プライベートで訪れる機会は実のところこれまで一度もなかった。でも25年という節目で何となく気分が高まり、行ってみたのである。

25年という月日は長く、五日市の駅前はほとんど面影がなかった。Googleのストリートビューでいくら探しても見つからないから覚悟していたが、自分が住んでいた社宅は当時からそれなりに古かったので、もうなくなっていたし、毎日遊んでいた空き地もなくなっていた。よく親と食べに行った欧風カレーの店も潰れていた。ミニ四駆を走らせた学校近くのおもちゃ屋も、駄菓子屋も、もうなかった。視覚イメージはかなり明確に頭の中に残っているのだが、どうやっても、目の前の光景と合わないのである。もしかしたら区画整理をしたのだろうか。駅前は実際、わたしが引っ越す頃に道路の幅を大幅に広げていた。

でも丹念に歩くにつれて、だんだんと25年前の記憶と重なる街並みが発見できた。社宅の隣に家があるクラスメートの家は残っていたし、その隣に住んでいた親友・イトペの家も(これは借家だが)残っていたし、よく3〜4階から飛び降りて遊んでいたマンションも残っていた。毎日の通学路も(古い持ち家が多かったのか)記憶とかなり近かった。学校も、公民館も、近くの公園も、そのままだった。児童館は確認するの忘れたな。さすがにヤマハ音楽教室はなかった。合気道の教室はわからなかった。書道教室も。スイミングスクールももうなくなったのだろう。別の親友・トミーの家は、徒歩で行くにはかなり遠かったので今回はパスしたけど、どうなっているかな。アキラとヒサシの双子が住んでいた団地は見つからなかった。あれも古かったから、もう取り壊したのかもしれない。

もはや誰も知り合いはおらず、仮に25年前の友人とすれ違ってもお互いわからない状況なんだけど、正直、形容しがたい多幸感に襲われた。故郷というものの持つチカラなのかもしれない。

でも、もう少し頻繁に訪れておくべきだったかもね。