これ狭義には、子育てエッセイ・イギリス生活エッセイ・息子の立場に立てば思春期エッセイといった分類になるのだろうが、世間的には(小説ではないという意味で)ノンフィクションとして認知・評価・称賛されていることが(本書ではなく)第1弾のあとがきに書かれていた。
その意味では、わたしは、これをジュヴナイル小説として読んでも何の違和感もないなと思った。
うん、ジャンルなんてどうでも良い。面白ければ。
なお本作は、Amazonによれば、この2巻をもって完結するようだ。その理由については本書の中で詳しく書かれているわけではない。ただ本書の終盤のエッセイでは、息子が成長し、思春期を迎え「母親と父親に全てを話すわけではない(健全な隠しごとをする)」というシーンが描写されていて、これが個人的には物凄く印象に残った。親子の対話って何だろう。全てを友達のように話すことか、と問われたら、わたしは違うと思う。まあ友達にも全てを話すかと問われればわたしは話さないのだが、つまり他者と自分の間に健全な境界ができると共に、父親、母親、教師、友達と、関係性ごとに「自分」の見せ方も変わってくる。これが健全な自我であり、自我の成長というものだろう。
だから健全な親離れ・子離れがなされて、このエッセイのネタがなくなっていく、もしくは薄っぺらくなるから完結したのかなと思った。
勝手な想像だけどね。