グレッグ・マキューン『エッセンシャル思考 最小の時間で成果を最大にする』

発売当初、評判が良いので買ってみたが、その時はあまり心揺さぶられる感じではなかった。

しかし思うところがあり、改めてきちんと通読して、今回はハマった。

良い本だと思う。

冒頭、著者はこう喝破する。

 エッセンシャル思考になるためには、3つの思い込みを克服しなくてはならない。
「やらなくては」「どれも大事」「全部できる」――この3つのセリフが、まるで伝説の妖女のように、人を非エッセンシャル思考の罠へと巧みに誘う。
うっかり耳を傾けようものなら、不要なものごとの海におぼれることになる。
 エッセンシャル思考を身につけるためには、これら3つの嘘を捨て、3つの真実に置き換えなくてはならない。
「やらなくては」ではなく「やると決める」。
「どれも大事」ではなく「大事なものはめったにない」。
「全部できる」ではなく「何でもできるが、全部はやらない」。

その通りだと思った。

我々にはやるべきことが多すぎるのだ。

戦慄すべきことに「やるべきこと」を見極めるライフハックまで氾濫している。

物事をシンプルにして、本質的(エッセンシャル)なことに目を向けるトレーニングが必要なのだと思う。

さて、この手の本を読む人ならお気づきかもしれない。本書は要するに、名著『イシューからはじめよ』とエッセンシャルには同じことを語っていると思う。語り口や細部の内容は違うにしてもね。

ただわたしの感覚では『イシューからはじめよ』を読んで勘違いしている人が物凄く多いんだよな。帯のメッセージでも「やるべきことが100分の1になる!」と書かれていてその「100分の1」というインパクトが大きかったことも相まって、読んだ人の何割かは「なるほど、イシュードリブンで物事を考えたらやるべきことが100分の1になって楽できるんだ!」とあの本を捉えたように見える。でもわたしに言わせると「やることを100分の1にすること」はただの手段である。あの本は、正しくは「イシュー度の高いイシューに集中することで(やるべきことを100分の1にすることで)、限られた時間や労力で成果を爆発的に最大化できる」と捉えるべきなのだ。

わかるだろうか、繰り返すが、100分の1に仕事量を断舎離することは目的ではなく手段なのだ。イシュードリブンは単なるライフハックではない。

本書も同じである。

「選択」「トレードオフ」「拒否」「キャンセル」など、仕事を断っていくための考え方や方法論が並ぶが、これで終わっては意味がない。全方位に1メートルずつ進むのではなく、価値あるゴールに向かって100メートル進むことでアウトプットを最大化することが、エッセンシャル思考のエッセンスだとわたしは思う。

余談

申し添えておくと、実はわたし自身、この「エッセンシャルなイシューに特化する」ということには現在とても苦しんでいる。コロナ禍ということもあるが、今のプロジェクトはフルリモートでずっと自宅で仕事をしているので、仕事とプライベートの境界線が曖昧で、仕事が長時間化しやすい。また同僚が辞めてしまうことになり、代わりの人がいないということで、わたしがその人のプロジェクトも掛け持ちすることになった。そのプロジェクト自体を断れればどれだけ良かっただろう! しかし今、コンサル業界は未曾有の人不足で、誰かがやるしかないというパワーバランスの中で、その「誰か」にわたしが強制的に任命されたのは、まあ仕方ない話と言える。

で、その結果、自分を振り返ると、30分 or 60分、場合によっては10分や20分のミーティングが、毎日10個は入っているのである。プロジェクトを引き受けるのは文字通り「強制」「命令」だったので仕方ないにしても、そのプロジェクトの回し方は圧倒的に変えなくてはならない……そう思いながら本書を読んでいた次第である。