カルロ・ゼン+石田点『テロール教授の怪しい授業』2〜3巻

テロを専門とする大学教授のゼミで、テロリストと一般の人は紙一重であるということを過激に教える漫画。

わたしの世代は、オウム真理教による地下鉄サリン事件やアルカイダによるアメリカ同時多発テロ事件の記憶が今なお鮮烈に植え付けられているが、今の30歳以下の世代はその「体験」がない。補足すると、もちろんわたしも実際にテロの被害に遭ったわけではない。しかしわたしたちは皆、テロを「体験」したと言って良いだろう。何しろテレビを付けると、WTC(ワールド・トレード・センター)という超高層ビルから人が飛び降りる様子がテレビに映っていたりするのである。何千人という人が被害に遭ったその混乱が毎日報道されているのである。毎日毎日、オウムがどうやってテロを実行したかワイドショーで解説しているのである(満員電車の床にビニール袋に詰めたサリンを置き、傘で突いてサリンをまいたのだ)。

飛行機がぶつかって煙にまかれ、まさにビルが崩壊しようとする最中、人が何人も飛び降りている。瓦礫だと思ったら人だった。焼け死ぬよりはマシだと思ったのか。極限状態で、もしかしたら助かると思ったのか。しかし当たり前だが、助かるわけがない。下手をすれば100階近くから飛び降りているのだ。

村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者にインタビューをしたドキュメンタリーの出版が、NHKでニュースになった。一冊の本の出版がニュースになる、それほどの衝撃を与えた事件である。

これらは風化させてはならないと思うが、一方で「風化」とは何だろうとも思う。わたしの中では死ぬまで風化することがない。今でも地下鉄サリン事件やアメリカ同時多発テロ事件の映像をありありと思い出すことができる。それどころか、勝手に頭の中に思い浮かぶこともある。そしてその度に感情はかき乱される。わたしは思う、これらのテロを通じて世界は決定的に書き換わったのだと。多くの40代以上の人にとっても同じ感覚なのではないだろうか。30歳以下の方も、東日本大震災を思い浮かべてもらえればよくわかるだろう。あれは世界のありようを決定的に書き換えた。東日本大震災の前にはもう決して戻ることがない。

そう考えると、風化というのは、時代を減ることで、その「体験」をしていない人の割合が相対的に増えていくことなのだろうと思う。

誰かが語り継ぐ必要があるのだと思う。

それがテロール教授の授業であり、こういう漫画であり、その気概があるかどうかは知らないがテレビなどのマスコミなのだろうと思う。