桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』6巻

これぞ令和版ラブコメだ。

昭和のラブコメは、携帯電話がないため即時に連絡が取れないことによる「物理的なすれ違い」、そこから来る不安・ドキドキ感が重要な要素だった。今は当然、30分遅れるとLINEすれば終わりである。

また昭和と平成で大成したラブコメは、基本的に「鈍感さ」と、それから生じた「心理的なすれ違い」で成り立っていた。相手の気持ちに気づかず、そして自分の気持ちにも気づかない。だからいつまでも子供同士のような無邪気な乳繰り合いが成立したし、別の女の子と仲良くした主人公がヒロインにしばかれて、成り立つのである。

よく考えてみてほしい。

普通なら彼女でもない人間に行動制御されることなどあってはならないのだから、なぜしばかれるのかと考えた瞬間、一気に告白フェーズに移行してしまう。しかしヒロインは自分の気持ちがわかっていないのだから、「よくわからないけどムカついた」という理由で人をハンマーで殴ったり空手でボコボコにしたりして、まあそこまで行かなくても他人にわかるようにプリプリしたりして、主人公や周囲も「まあそうか」と何となく納得するという、そんな鈍感さで成立していたのである。ちなみにこれはヒロインが主人公に対する好意を明確にしている場合でも、程度問題として処理されていて、例えば別の女の子に興味を持った主人公に対して「浮気だっちゃ」と電撃を浴びせるというのは、明らかに彼氏彼女でしか許されない言動の筈だ。しかし主人公は天性の鈍感さで「まあ告白して自分の身を固めるほどの話ではないだろう」と勝手に自己解決して、これまで通りの曖昧な関係を続けられるのである。通常の神経なら、これは出来ない。半裸の美女が彼女ヅラどころか伴侶ヅラして身を擦り寄せるばかりか、自身にも彼氏・夫としての言動を求めるのである。こんなもんフツーは5秒もあれば彼氏になる。しかしならない。これは「鈍感さ」故である。

一方、本作は違う。本作のキーワードは「勇気」と「距離感」だと思う。

自分の気持ちは痛いほどわかっている。相手の気持もうっすらと理解している。けれど勇気がなくて、距離を詰められない。次の関係に進めない。しかし少しずつ勇気を出して、少しずつ進むのだ。黒歴史オタクと天然のカップリングのため毎回のように笑いがあるが、毎回のように胸にグッと来る。大傑作漫画としか言いようがない。