鬼頭莫宏『のボルダ』2巻

ボルダリング漫画の第2巻。

ボルダリングの独特というか特有の性質を深く掘り下げていて、非常に面白い漫画。スポーツの楽しさには色々あって、単純に体を動かしてキモチイイというものもあれば、勝って嬉しい、凄いプレイができて嬉しい、辛くて苦しいのが嬉しいなどなど、種目によっても取り組み方によっても人によっても様々だと思う。

わたしが個人的に「興味深いなあ」と思っているのは自転車のヒルクライムで、これは文字通り急な坂道をひたすら登るジャンルだ。

少し話が脱線するけれども、実はわたしは、かつて友人に勧められてロードバイクを買ったものの挫折した経験がある。とにかく速いのだ。自転車というのは非常に効率的な乗り物で、しかもロードバイクはママチャリとは本質的に違う乗り物だと思う。素人・運動不足の中年が乗っても楽に時速20〜25キロは出るし、多少真面目に漕げばすぐ時速30キロは超える(巡航時速30キロは初心者ではなかなか難しいようだが)。下り坂だと時速40〜50キロも楽に出る。このスピード感がいわゆる「風を切って走る感覚」であり「爽快感」なわけだが、車や原付も運転しないわたしのような人間にとってはただの恐怖でしかなかった。反応できねえよ……。友達によれば、スキーやスノボ・オートバイなどをやっている人は、自転車のスピード感とも相性が良いらしい。

一方、こうしたスピード感と無縁なものが、ヒルクライムである。わざわざ自転車で坂道を登るのだ。坂がキツければキツいほど辛いし、自分の体重が残酷なまでに重力としてはねかえってくる。初心者だとせいぜい時速10キロ前後(勾配によってはもっと遅い)のスピードでヒィヒィ言いながら登るわけだ。下手したらジョギングと同程度のスピードだ。わたしのようなファットな人間は地獄を通り越した辛さでそもそも完走できないのだが(レースではないが一度、友人たちと高尾を登ったことがある)、節制して体重を絞り込み、心肺機能を鍛えたヒルクライマーはより辛い坂道を求めるので、上級者だから楽になるわけでもなく地獄の苦しみであることは変わらない。自転車の競技ジャンルなのに、爽快感を捨てた競技なのである。変わっているなあと思っていた。

話を戻すと、ボルダリングという競技の楽しみ方も、ヒルクライムに負けず劣らず独特だなと思っているということだ。ボルダリングは壁に色々な形や色の突起を付けて、それに手や足をかけて壁を登るという競技である(乱暴)。この「色」というのがキモで、別に楽しむだけならどの色の突起を使って登っても構わないのだが、ボルダリングには「級」という概念があり、この色で登ると初心者向けで何級、この色は中級者向けで何級、といった区分けがあり、ボルダリングを楽しむ人達は、より難易度の高い課題にチャレンジしていくわけである。で、最初は気の向くままチャレンジしてクリアして……を繰り返すが、じきにその人の体格・体力・筋力・柔軟性・スキルなどに応じて壁にブチ当たる。クリアできなくなるわけである。友達と一緒に始めても、友達と身体性能が異なるから同じ課題でつまづくとは限らないし、解決方法が同じとも限らない。そうなると、ボルダリングにハマる人たちは、だんだんと独りで黙々と壁と対峙するようになる。そしてクリアできると……どうなるか? より難しい課題が待っているのである。フツーに考えると、さっきまで100の難易度の課題に取り組んでいて、当初の自分は90のチカラしかなかったけれども鍛錬と研究を重ねてやっとのことで100の課題をクリアした後、すぐに110の課題をクリアしようとしてもおそらくできないだろう。そこでまた鍛錬と研究を重ねてやっとのことで110の課題をクリアすると……もうわかるだろう、120の課題が待っているわけだ。別のスポーツだと、例えば水泳は、泳げることは泳げるのだが、フォームを洗練させたり、泳ぎの速度や精度を高めるという流れになる。そして野球の投手だとボールを投げることはできるが、投球の速度やコントロールや変化球のキレをより上げていくという流れだ。一方、ボルダリングの場合は「できる」の程度を上げていくのではなく、常に「できない」「失敗する」という状態が続くスポーツなのである。もちろん、だからこそ「できた」時の達成感も魅力なのだろうが、「できる」ために数週間、下手したら数ヶ月もの間、孤独に壁と対峙する必要がある。

なかなか独特なスポーツだなーと思う。

けど内省的な人間には合っているような気もする。