鍋倉夫『路傍のフジイ』1巻

愛想笑いをせず、空気が読めず、周りに人がいなくとも孤独を感じない男。やりたいことがたくさんあって、昔ちょっとだけすれ違っただけの人を今でも友達と思っている、ある意味ハッピーな男。この無骨で実直な「変人」の飾らず気取らない姿に、コミュニケーションに疲れた人たちがちょっとずつ惹かれていく――とまあ、そういう話だろうか。

わたしはこの話が凄くよくわかると同時に、わからない点もある。正直、わたしはフジイなのである。既に45歳で未だに独身だし、友達と会ったり遊んだりするのは数ヶ月に1回程度だが、孤独を感じていない。ネトフリで観たい映画やドラマやアニメが死ぬほどあり、読みたい本が死ぬほどあり、漫画も死ぬほど読んで、ゲームもやって、仕事に必要な勉強もして――となると、それだけで平日だって休日だって時間がいくらあっても足りない。本当は数学の勉強もやりたいし、プログラミングもやりたいし、挫折した英語もやりたいが、優先順位の関係で諦めている。

人付き合いもそうだ。もちろん面倒だなと思うこともあるが、わたしは会社の同僚に対して、大して気を使っていないのだ。行きたくない飲み会は行かないし、とはいえたまには行きたいから行くし、面倒だと思っても実際に行くとけっこう面白かったりもする。最近はフルリモートだから気を使うことも減ったし、偶に出社したところで、行きたくないときはランチに誘われてもディナーに誘われても行かない。誘いたいときには誘うが、断られても別に構わない。一人でKindle本を読みながら食べるランチも乙なものである。

Amazonをチェックすると、この漫画に救われたみたいなレビューがいくつもあるが、皆そんなにやりたいことがやれてないのだろうか。他人に気を使っているのだろうか。人は皆「他人は言うほど自分のことを見ていないし、気にもしていない」という残酷な事実に、思春期の終わりとともに気づくべきだろう。