森川嘉一朗『趣都の誕生』

建築学や都市社会学・社会心理学といった学問を横断する気鋭の現代文化論、と言って良いと思う。秋葉原という街がいわゆる「白モノ家電の街」から、コジマを初めとした郊外型の電化量販店に押され「パソコンの街」へと変化したことは、別に関東在住の人でなくとも知っているだろう。しかし近年、秋葉原が急激に「オタクの街」へと変貌しているということは、あるいは関東在住の人でも知らないかもしれない。

都市の景観というものは、官主導あるいは企業主導で作られてきた。それが普通だろう。秋葉原も当然そうだった。しかし近年、秋葉原はアニメ絵とオタクによって浸食され、街の景観すら短期間で急速に作りかえられてしまった。俺も一度だけ秋葉原(の駅周辺)に行ってみたことがあるが、駅に降り立った瞬間、街全体が典型的なアニメ絵で溢れているのである。さらに都市の景観の違いはアニメ絵の有無だけではない、と著者は述べる。まず窓の大きさが違う。渋谷の窓はショーウィンドウである。窓は大きく、街の透明感を加速させる。対照的に秋葉原の窓は小さくて外から中が見えなくなっており、その不透明さはあたかもサティアンを想起させるそうだ。また渋谷と秋葉原には、海外指向とメイド・イン・ジャパン指向の違い・色遣いの違い・文字の違いなどもあると指摘している。

いや、細かな違いを挙げなくとも、オタクとアニメ絵に浸食された秋葉原と、若者と最先端のショップに彩られた渋谷は、明らかに都市の景観は異質だと一目見て直感的に理解できるだろう。これを著者は「趣味が、都市を変える力を持ち始めた」と表現しているが、渋谷と秋葉原では街を歩く人の「体型からして違う」という指摘には空恐ろしいものがある。冒頭の口絵(写真)を見ると、何気なく写されたであろう渋谷と秋葉原の雑踏の人々は、確かに服装だけでなく体型すら全く異なるのである。

全体的に理論的な裏付けは希薄で、厳密性に欠けた独断も散見される。また議論も拡散傾向にある。しかし、それを差し引いても本書は金字塔と呼べるだろう。これから本書は文化論や都市論・オタク論など様々な分野で参照される基本文献となり、本書を踏まえた上で議論が組み立てられるようになるのではないか。俺は、ふと中島梓の『コミュニケーション不全症候群』という本を思い出した。この本も理論的な弱さはあったが、凄まじく鋭い指摘によって、社会学や心理学・哲学など様々な分野で重要な意味を持つ文献となっている。