以前読んだのだが、感想は書いていなかったようだ。良い機会なので再読したが、非常にパワーのある本で、箇条書き(ブレット・ポイント、ビュレット・ポイント)を使いこなすと仕事力は明らかに上がると改めて思い知らされた。
超・箇条書きのポイントは以下に集約される。
- 構造化(レベル感を揃える)
- 自動詞と他動詞
- 直列と並列
- ガバにング
- 物語化(フックをつくる)
- イントロ
- MECE崩し
- 固有名詞
- メッセージ化(スタンスをとる)
- 隠れ重言排除
- 否定
- 数値
多くの箇条書きは単に「羅列化」に留まっている。そこでレビュアーは「構造化」や「短く端的に」といった指摘をする。様式美の世界である。わたしもそうだった。しかし「構造化」や「端的に」は、そもそも文章を読んでもらうための前提と言って良い。いわば初歩である。そして「端的に」と言われた側は、そんなこと百も承知で、でもやり方がわからない、もしくはやる能力が無いから困っているのだ。
著者はそれらを踏まえ、構造化に加え、物語化とメッセージ化も含めて超・箇条書きには必要なのだと明確に述べてくれている。
上記のポイントの中で、わたしが最もハッとさせられたのは「隠れ
では、隠れ重言とは具体的にはどのようなものか。
身近なもので考えよう。スポーツを例にする。
サッカーの日本代表戦を解説しているアナウンサーが「日本はゴールが欲しいですね」と言ったとする。表向きは重言になっていない。
しかし、サッカーをしていればゴールを目指すのは大前提だ。当たり前だ。新しい情報は何もない。これが「隠れ重言」である。
スポーツの解説では、これと同様の隠れ重言は山ほどある。
野球で「そろそろ得点が欲しいイニングです」と言うのも、はなから得点が欲しくないと思って打者を送り出す監督もファンもいないだろう。
ラグビーで「強いタックルが必要です」と言うのも、弱いタックルがよいというシーンはラグビーにおいては存在しない。
こうしたものが隠れ重言だ。当たり前のことをもっともらしく言って、何か言った気になっているだけだ。相手にとってはなんの意味もない。
もっともらしいが、何の意味もないことを発言している、という指摘にはドキッとさせられる。わたしが働いている職場(コンサルティングファーム)でも、若手コンサルが偉そうに言っていることの多くは隠れ重言であろう。しかしわたし自身も、振り返ると、こうした隠れ重言を言っていることは多いと思う。隠れ重言、これは非常に深奥な概念で、考え出すと、もう発言することはできなくなってしまうのではないかとすら思う。「ステップを踏んで進めていく必要がある」当たり前である。「○○の問題がある」これも当たり前だ。「HowありきではなくWhyが重要である」何をか言わんや。「ステークホルダーを巻き込んでいく必要がある」巻き込めないから困っているのだ。「議論を整理させていただきたい」そのためにコンサルが呼ばれている……などなど。もちろん相手が理解していないこともあるので、こうした発言が隠れ重言になるか否かはケース・バイ・ケースだと思う。しかしもっともらしいことをもっともらしく発言して満足していないかは、超・箇条書き以前に、自らを振り返る必要があると思った。
閑話休題。著者は、超・箇条書きに精通すると、一般的なベタ書きの文章を書くのも上手になると主張している。そのとおりだろうと思う。ベタ書きの文章も箇条書きと同様、構造的に書かねばならないし、魅力的なフックが必要だし、明確なメッセージが必要だ。アウトラインプロセッサでガチャガチャ文章をあれこれ入れ替える前に、箇条書きでポイントを整理するのは「アリ」であろう。
本書は極私的名著だが、他の人にとっても非常に有用な本と思われるため、ぜひ興味のある方は手に取ってほしい。