谷敏行『Amazon Mechanism』

概要

本書の目的は、アマゾンがInnovationを組織的に連続して起こす仕組み(アマゾン・イノベーション・メカニズム)を日本企業において再現可能な形で分解・体系化し、読者に活用してもらうことだそうだ。そのメカニズムを最もシンプルに表現すると以下のようになる。

ベンチャー起業家の環境 × 大企業のスケール − 大企業の落とし穴 = 最高のイノベーション環境

これ自体はよくある方程式だ。古くは数十年前に大前研一の書籍に載っていた「メガ・ベンチャー」も要するにこれであろう。

トヨタ・ホンダ・ソニー・パナソニックなどに代表される製造業を中心としたかつての日本の優良企業は、経営陣を中心にものづくり領域でこれに近い環境を一時的には創出していたと思われる。しかしそれは家族的経営をベースにしたもので、21世紀においてそれを再現することは困難である。

ソフトバンクや楽天やDeNAやmixiやライブドアといった21世紀に台頭した日本のIT分野を中心とした大企業・成長企業も、従来の日本企業には見られないスピード感を持っており、これに近い方程式を実現していたと思われる。しかしこれも現実を見ると、結局は経営陣(特に創業者)の才能に依存したマネジメントモデルであることが大半である。よって創業者が把握できないレベルの規模になった時点で、また創業者が現実を捉え損ねた時点で、多くは「普通の企業」になっていった。

こうした日本企業を見ても、我々はより科学的・合理的な方法論としてアマゾンのやり方を受け止めていく必要があるだろう。

本書の目次は以下。

はじめに ソニー技術者として抱いた疑問の答えがアマゾンにあった
序章 シリアルアントレプレナーとジェフ・ベゾスの共通項と違い
第1章 「普通の社員」を「起業家集団」に変えるアマゾンの仕組み・プラクティス
第2章 大企業の「落とし穴」を回避するアマゾンの仕組み・プラクティス
第3章 経営幹部「Sチーム」の果たす役割
第4章 イノベーション創出に関わるベゾスのキーフレーズ
終章 なぜ今、あらゆる企業と個人にイノベーション創出力が必要なのか?

以下、若干チェリーピッキングになるが、この後わたしが気になったところを挙げておきたい。

Customer-centric

2018年11月に、ベゾスが社内会議で「いつかアマゾンが潰れる日が来る」と語ったそうだ。

 アマゾンのCEOジェフ・ベゾスは社内会議で驚くべき見解を述べた。CNBCが録音を確認した。
 アマゾンの時価総額は一時、1兆ドルを超え、同氏は世界一のお金持ちだが、ベゾスはアマゾンは決して無敵ではないと語った。
 「アマゾンは大きすぎて潰せない存在ではない。実際、私はいつかアマゾンは潰れると考えている」とベゾスはシアーズの倒産について聞かれた時に、そう答えたようだ。
 「アマゾンは倒産するだろう。大企業を見ると、その寿命は30年程度。100年ではない」
(略)
 ベゾスは、アマゾンの目標はその日を可能な限り遅らせること、そしてその方法は顧客に注力することと語った。
 「もし我々が顧客ではなく、我々自身に注目し始めたら、それは終わりの始まり。我々は終わりの日を可能な限り遅らせなければならない」

その背景にあるのが、ベゾスの顧客中心思考への強いこだわりである。ベゾスはアマゾンの強みについて、繰り返し以下3点を挙げているそうだ。

  • Customer-centric(顧客中心)
  • Invent(発明)
  • Long-term thinking(長期思考)

これは非常に重要な指摘であると思う。アマゾンのサービスは(特にショッピングにおいて)多くの問題を抱えてきたし、新たに抱えつつあるが、それでも楽天やヨドバシカメラと比べて圧倒的に使いやすく、豊富な品揃えと機能があり、近年(でもないか)も試着サービスやアマゾンオリジナル商品などどんどん凄いものが出てくる。我々はもう麻痺してしまっているが、これは凄いことである。

PR/FAQ

Customer-centricを体現する具体的な社内の仕組みとして「PR/FAQ」と呼ばれるものがある。これは顧客視点で物事を考えるために、プレス・リリースとそこでの想定問答を書くことから企画が始まるという仕組みである。

PR/FAQが面白い、また優れている点は幾つかあるが、まずわたしが感じたのは「実際に使ってみた人のフィードバック」を想像して書かねばならない点である。これは顧客視点の極みであろう。また、このPR/FAQを書くトレーニングをほとんどの社員が受けているそうだが、これを作るのに高度なスキルは不要だし、負担自体も高いものではない。体裁としてはあくまでプレスリリースであるため、分量としてはPR部分がA4用紙1ページから1ページ半、それにFAQを付け足すだけである。アイデアを温めてきた人なら数時間で一旦書き上げることができるそうだ。市場分析がどうの、売上計画や利益予測がどうの、価格戦略がどうの、といったことを必須で求めるようになると企画書は数十ページに及び、精緻にはなるが、提案する人も、提案されるアイデアも大きく減っていくことになる。

最後に、PR/FAQを作る際に重要な観点を5つ挙げており、これも自分が作ったスライドや部下の作ったスライドに顧客観点を盛り込むのに非常に役立ったので引用しておく。

  1. 顧客は誰か?
  2. 顧客は、どんな課題を抱えているのか?
  3. 顧客の課題に対して、このサービス・製品が提供するソリューションは何か?
  4. そのソリューションは、顧客の問題を本当に解決するのか?
  5. 顧客はこのサービス・製品を心から「欲しい」と思うか?

沈黙から始まる会議

これは以前読んだ『amazonの絶対思考』にも書かれており、また詳しい。感想も詳しく書いたので以下を参照してほしいのだが、簡単にまとめると「パワポによる資料作成や箇条書きを禁止して散文で説明すること」と「会議の冒頭に資料を読み込む時間を必ず設け、その後議論すること」という2点である。

incubator.hatenablog.com

1点目は、スライドによる「ビジュアルで何となくわかった気にさせる資料」や、箇条書きによる「シンプルだが言葉足らずの表現」を撲滅する効果や、見栄えやレイアウトに時間を費やすことを撲滅して本質的な検討をするという効果がある。

わたし自身、コンサルティングファームの経験が長く、短時間で効率的に読み手にインプットするために、何千枚もの(下手をすれば1万枚近くの)スライドを作ってきたと思う。そして1スライド1メッセージで端的なメッセージのスライドを作る意味は、今でもあるとわたしは思う。一方、文章を削ぎ落とした結果として若干言葉足らずでも文を1行に収めることを優先することは正直ある。それはグラフや概念図を作り込むことでわかってもらうのである。リード文を補足するためにボディ部分があるというのがパワポの典型的な作成テクニックなのだ。でも特に日本の業務運営においてはマッキンゼーが作るようなスカスカのグラフだけの資料ではなく作り込みが求められるため、実際にはかなりの時間をパワポ作成に要する。だからショートカット信仰が生まれるのである。また、1スライド1メッセージを徹底すると、スライド間は何となく繋がっているが、接続詞はついていないので若干ぶつ切りになり、スピーカーの喋り方で補うことも多い。

そんなことを考えるうち、わたしは数年来、そもそも説明したいことを過不足なく文章で書けば良いんじゃないかと何となく思っていたが、それを素直に読んでくれるクライアントもおらず、諦めていた。そんな中、まさか実践している企業があるとは、という衝撃を受けたのだ。

さて、プレゼンをしているとこんな人はいないだろうか? いや、これは反語で、ビジネスパーソンなら100%出会ったことがあると思う。

  • 事前に資料を読んでくるよう促しても読んでこない人(結果、会議のスリム化に失敗し、その人に合わせ資料説明の時間を設けることになる)
  • 次のページに載っているのにプレゼンを遮って質問する人(良く言えばインタラクティブ、悪く言うと集中力の削がれた緊張感のないプレゼン)
  • 話半分で聞いて(最悪は内職をして)プレゼンで喋った内容(前提や用語定義を含む)を確認する人や、ピントのズレた質問をする人
  • 話半分で聞いた(最悪は内職をした)結果、キーパーソン or 意思決定者なのに実質的に議論に参加せず、意思決定もしない人

2点目の「会議の冒頭に資料を読み込む時間を必ず設け、その後議論すること」は、これらの人を撲滅することができる。会議参加者にとっても、事前の資料の読み込みなどが不要というメリットがある。また、アマゾンでは、これらに連動して「提案内容を事前に伝えたり、決定権のある人に事前打診をしないのがルールで、徹底されている」そうだ。これは本当に重要かつ凄いことで、要するに、一切の根回しを禁止しているのである。まっさらな状態で議論が行われるから、能力のない人(特に意思決定者)が炙り出されるし、毎回の会議が真剣勝負で、物凄い緊張感が漂うそうだ。

ワンウェイ・ドアとツーウェイ・ドア

これもアマゾンで浸透している表現とのことだが、ツーウェイ・ドア(両方向のドア)とは、未知の領域に足を踏み入れた結果、そこが望ましい場所でないとわかったなら引き返せるドアのことを指す。そしてワンウェイ・ドア(一方通行のドア)とは、ツーウェイ・ドアの逆に、一度足を踏み入れたら引き返せないドアだ。つまりこれからやろうとする新しいチャンレジやイノベーションがツーウェイ・ドアであれば、事前に十分な調査や分析ができなかったとしても、それを理由に歩みを止める必要はない。引き返せば良いからだ。一方、ワンウェイ・ドアであれば、ドアの向こうに待ち構えるものが何であるかを慎重に予測・検討してからドアを開ける必要がある。

ツーウェイ・ドア or ワンウェイ・ドアのどちらであるか、何をもって判断するかは難しい。しかし、これを見極めること自体が重要ではないのだと思う。これはミドル層のマネージャーに起業家精神を植え付け、社員にチャレンジをすることが重要なのだというジェフ・ベゾスのメッセージなのだ。

大企業の落とし穴と対策

大企業の落とし穴として、著者は6点を挙げている。

大企業の落とし穴1 > 新規事業のリーダーが既存事業と兼務で、社内調整に追われる
 対策 > シングル・スレッド・リーダーシップ

大企業の落とし穴2 > 既存事業が優先され、新規事業にリソースが回されない
 対策 > 社内カニバリゼーションを推奨

大企業の落とし穴3 > 新規事業の失敗が担当者の「失点」になる
 対策 > インプットで評価

大企業の落とし穴4 > 既存事業の無難な目標設定がチャレンジを避ける組織文化を作る
 対策 > 既存事業にもストレッチ目標

大企業の落とし穴5 > 聖域化した「過去のコア事業」の幹部が権力を持つ
 対策 > 「規模」でなく「成長度」で評価

大企業の落とし穴6 > ルール優先で社員が指示待ちになる
 対策 > 全員がリーダー

どれも素晴らしいが、個人的に凄いと思ったのは2と3である。カニバリというのは組織の中でよく議論される。そしてカニバリを恐れるあまり挑戦が尻すぼみになり、いずれ既存事業も枯れてしまうのである。それなら社内でどんどん競争させていけば良い。そしてその結果失敗しても、「売上」「利益」のような最終結果指標ではなく、「商品ラインナップ」「配送時間」「新サービスのローンチ」「PR/FAQの深堀り状況」といった先行指標で評価すれば良い、というのがアマゾンの考え方である。

リーダーシップ原則(Our Leadership Principles / OLP)

最後に、アマゾンは16項目から成るOLPを非常に重視している。当初は14項目で、後半の2つは近年追加されたものらしい。

www.amazon.jobs

詳細はアマゾンのサイトを見てほしいが、個人的に気に入ったのは、第1原則「Customer Obsession」だ。著者も言及している通り「オブセッション(妄想・固定観念・強迫観念)」という非常に強い言葉が使われているのがポイントである。そして実際に、オブセッションと言えるほど顧客中心思考にこだわっている。