為末大『ウィニング・アローン 自己理解のパフォーマンス論』

走る哲学者だの、スポーツ界きっての理論派という触れ込みだが、良くも悪くも、この人は哲学者とか理論派という感じではないと思った。

この人は、筋道立てて(すなわちロジカルに)物事を考えようとしているだけなのだと思う。論理的(ロジカル)であること、理論的(セオリティカル)であること、哲学的(フィロソフィカル)であること、これらは全て異なるものである。

また、著者はアスリートとして自分の身体感覚と対話し、その感覚を言語化しようとしているが、なかなか身体感覚を言語化するのは難しいので哲学者だと言われているが、これも何となく「哲学者」なんて言わず、彼のやろうとしていることややってきたことを真正面から受け止める方がずっと良い。