堀越耕平『僕のヒーローアカデミア』32巻

個性という名の特殊能力をほとんど全員が持っている個性社会。その中で、個性を使って社会秩序よりも自分の利益や欲求をストレートに叶えようとするヴィラン(敵)と、ヴィランを取り締まり社会秩序を守る正義のヒーロー。何だかんだで均衡していたそのバランスが決定的に崩れたのが31巻である。多数の凶悪なヴィランが牢獄から抜け出し、既存のヴィランも勢いを増し、社会は暴力で溢れる。混沌にまみれる。ヴィランを取り締まる力のないヒーローは次々と「ヒーロー」の看板を下ろして逃げ隠れ、治安はますます悪化の一途を辿る。ヒーローへの信頼は地に落ち、大衆はヒーローではなく自分たちで自分の身を守ろうとする。ヒーローの数も質もまるで足りない。社会は昏く変貌を遂げてしまった。

主人公も変貌した。高校にも通わず、トップヒーローの数名とマッチアップし、ひたすらヴィランとの戦いをストイックに続けていく。親の心配を振り切り、友達との交流も消し去り、全ての始まりと言って良い師匠のオールマイトをも冷たく突き放す。「オールマイトらしさ」に憧れた日は遥か遠く、コスチュームは血と泥にまみれ、怪物のようなマスクの奥に映るその目に感情の灯はともらない。いわゆる「闇落ち」と言って良いだろう。ヴィランのようにしか見えないその外見は、内面を如実に投影していると言って良いだろう。

「最終章」と銘打って開幕した32巻だが、どこまでも不穏な最終章の幕開である。

さて、話を急に変えるが、わたしはヒロアカが好きだ。ワンピースの100倍は好きだ。ワンピースではなくヒロアカこそが少年ジャンプの努力・友情・勝利の伝統を最も色濃く受け継いでいる作品だと思う。だからこそ訳のわからん同級生との友情もどきの駄エピソードや、主人公の(ひいては作者の)考える薄っぺらい正義感や、インフレし過ぎてよくわからない戦闘シーンについては批判めいたことも書いてきた。スピンオフである『ヴィジランテ』の方が巧いし面白いとも書いたな(これは事実である)。けど本質的にはヒロアカという作品が昔も今も物凄く好きで、何十回、いやそれ以上は読み返しているだろう。

31巻から32巻にかけての展開は、これまで色々と積み上げてきたものをぶった切る大ナタである。批判する人や、付いて来られない人も出てくるように思う。しかし学生という生ぬるい立場で、ヒーローという資格を得るために学校に行きながら雄英の1年生のみが(本来ヒーローの資格を持っていない人間がやってはならない)越権行為を次々と行い、それが何だかんだと認められるという矛盾は、いつか断ち切る必要があったと思う。その意味でわたしは、この展開を強く指示する。

そう考えると、いくらエリート校である雄英高校であっても、1年生全員が、この事態で巨悪と戦うという事態はリアリティがない。というか、あってはならないと思う。これまでヴィランと戦ってきた中位・上位のプロヒーローですら逃げているのだから。これを機会に、どうでも良い1年B組のキャラクターとか、ヒーローになる気もなく下ネタばかり言っている峰田実などは切り捨てて、密度の濃い戦いを繰り広げてほしいなと思う。