さもえど太郎『Artiste』5巻

Artiste 5巻: バンチコミックス

Artiste 5巻: バンチコミックス

非常に内気でコミュ障なんだが、極めて鋭敏な舌と鼻を持つ若手料理人の物語。

主人公は、子供の頃から「○○ちゃんのシャンプー良い匂いだね」とか言って嫌われたり、料理をマズいと言って親を傷つけたり、働くようになっても単に味がブレているだけの先輩の料理を味見して「どの味で行くか教えてください」と言って先輩を切れさせたりと、自分の能力と上手く折り合いをつけて生きるのが苦手な人である。能力が偏っているというかね。当人は、自分の舌と鼻が人を苛つかせていることはわかるのだが、どこまで他人と違っているのかとか、なぜ他人が怒っているのかをすぐ察知することが苦手で、同じような失敗を何度もしてしまうのである。その結果、コミュニケーションに臆病になり、健全なコミュ力が育たない、というループ構造に陥っている。

しかしながら、かつて『バンビ~ノ!』や『王様のレストラン』といった過去の漫画やテレビドラマでも描かれていたように、一流の料理店というのはシェフの個人プレーではなく、皆のチームプレーで成り立っているわけである。主人公は料理で生きていこうとするなら、コミュニケーションを学び、人として成長しなければならないのである。

5巻も相変わらずの面白さで、続きが早く読みたい漫画のひとつ。

高松美咲『スキップとローファー』2巻

スキップとローファー(2) (アフタヌーンコミックス)

スキップとローファー(2) (アフタヌーンコミックス)

石川県の田舎でノビノビ育った(やや)天然気味の主人公が、T大→官僚の夢を叶えるため、東京の進学校に入学。色んな人と交流して成長して……という、令和なのに昭和を思わせる小細工なしの青春群像劇。

と言っても古臭いわけでは全然なく、時代設定や漫画表現はちゃんと令和なので、その直球具合が逆に新鮮というか。

似た作品……何だろう。すぐ思いつきそうで、意外に思いつかない。

とにかくわたしは今、1巻も2巻もめちゃくちゃ読み返してる。もう10回以上は読んだかな。3巻が待ち切れない。

泉光『図書館の大魔術師』3巻

図書館の大魔術師(3) (アフタヌーンコミックス)

図書館の大魔術師(3) (アフタヌーンコミックス)

人間以外の亜人もたくさん登場する、いわゆる西洋中世風味のファンタジーなのだが、剣や魔法はそれほど出て来ない。主人公は、知の象徴たる司書になりたくて、貧困や人種差別を乗り越えて勉強を重ね、ついに司書の試験を受けることになる。そして見事! というところで、第一部完。

嘘でしょ?

回収されていない伏線が山盛りだし、そもそもやっと目指す司書になったのに。

森薫か? ってぐらいの非常に美麗な絵柄で、期待してたんだがなあ。

Amazonのレビューでも、非常に評価が高いと共に、第二部を待ち望む声が多い。

さすがに第二部は描いてくれるんだよね?

鈴木望『青に、ふれる。』1巻

青に、ふれる。 : 1 (アクションコミックス)

青に、ふれる。 : 1 (アクションコミックス)

太田母斑による青いアザを持つ女子高生と、相貌失認により他人の顔を判別できない男性教諭の出会い。

男性教諭は、顔を判別できないため、その人の髪型や持ち物や制服の着こなし・声などをめちゃくちゃ細かくメモしている。しかし男性教諭は大事なメモの書かれた手帳を落としてしまうのである。たまたま手帳を目にした主人公は、自分の欄にだけ何も書かれていないことを発見し、先生が自分=アザであるという認識をしているため特徴をメモする必要がないという失礼さや、アザであることを敢えて記録しない偽善的な態度にいたく傷つき、抗議に向かう。しかし男性教諭は、実は相貌失認で、アザのことも認識しておらず、その青い部分を「オーラ」だと認識していたというトンデモな回答を行う。自分のアザを「オーラ」だと勘違いされたという妙なエピソードと、教諭の秘密(相貌失認)を知ってしまったことで、主人公は何となくその男性教諭のことが気になってしまう……とまあ、こんな感じのアウトラインだろうか。

一旦横道にそれます

さて、わたし自身の記憶を思い返すと、小学校時代のクラスメートに太田母斑(かどうか正確には知らないが)と思われる男子が一人いた。ただ、我々は決して彼のアザを馬鹿にしたりはしなかったように思う。そして友達同士の会話の中で話題にしたこともなかった。少なくともわたしはそうだ。わたしは(自分にも色々コンプレックスがあるので)その辺はかなり自覚的であり、普段は「口から生まれた」と怒られるほどペラペラ喋っていたけれど、その辺は慎重に行動してきたつもりだ。だが、ちょっとした事柄で囃し立てる馬鹿は通常どこの世界にもいる。どんな思いで、わたしだけでなく我々全員がアザについて一切口にしなかったのか、今となってはよくわからない。実はクラスの担任に代表される大人が厳しく言い含めたのかもしれないし、実はわたし以外の人間はちょいちょいからかっていたのかもしれない。

いずれにせよ、少なくともわたしの場合、彼に対する態度は同情とも優しさとも違っていた気がする。あえて言うと……何だろう。わたしはあなたのアザなんて気にもしていないし気づきもしていないよという態度を取り続けることが、子供ながら、自分なりの「マナー」であり、「恥ずかしくない一人の人間としての振る舞い」だったのかな、と思う。そうした外見を取り上げて一度でもからかうことは絶対にしてはならないとわたしは思っていた。

事実として、単に友達として付き合っている中で、他人の顔のアザの有無など、特段気にすることは起こらないわけである。

ただ、こちらが気にしていなくとも、そして本人は何も言わなくとも、やはり本人は強いコンプレックスを持っているだろうなと思うことはあった。それがわたしの思い込みなのか、事実そうだったのかは、当時から30年経った今となってはもうわからない(わたしは小学校卒業と共に広島から大阪に引っ越してしまったしね)。ただ、今でも忘れられない瞬間がある。集合写真……じゃないな、クラス全員ではなかった、たぶん遠足だったか外で遊んだか、あるいは卒業式の類だったか、とにかく友人何人かで記念に写真でも撮るかとなった時があって、まあそういう時、男子は大体ワチャワチャして「ハイ・チーズ」となるまでに時間がかかりがちである。その時もワチャワチャしてたのだろう、しかしまあ何とかワチャワチャも収束して、いざ写真を撮るタイミングで、もはや誰も騒いでいないのに、彼はもう一度「なんだよ~」という感じで右を向いて、彼だけが正面を向いていない写真が出来上がったことがあったのである。もう言うまでもないと思うが、彼のアザは顔の右半分にある。わたしはその時の首の振り方に物凄く違和感を感じたのである。わざとらしいというかね。

実はこの話には前段階があって、林間学校だか修学旅行だか、これも詳しくは全く覚えていないのだが、皆で風呂に入ったことがあり、この風呂場での写真も同様に右を向いていたのである。まあそもそも風呂場のようなプライベートな場で写真を撮ること自体、今では子供の人権云々みたいな話になりそうだが、当時は男子の場合、皆で浴槽に浸かって、ワチャワチャしながら「ハイ・チーズ」とする写真は普通に撮られていたし、個人的に何の違和感も感じていなかった。ただ、ハイ・チーズの中で一人だけ右を向いているというのはやはり違和感があり、本人は気にしているんだなとぼんやりと思っていたところで、また彼は右を向いたのだ。

本書の内容に戻って

本作の主人公は、太田母斑があることを、全く気にしないように振る舞う。友達との軽口でも、普通にアザの話をする。誰かがボソッと陰口を言っても、全く気にしないように振る舞う。しかし、これはかなり逆説的な振る舞いで、他人の振る舞いに傷ついたということを誰にも見せない、それどころか自分にも見せない、という最後の抵抗なのだ。本人は実のところ、深く傷ついているのだ。

わたしは本作を読んで、この「傷ついてなんていないんだよ」という主人公の振る舞いに、小学校時代の友人の姿を重ね合わせた。そして「気にしてなんていないんだよ」という30年前のわたしの振る舞いをも思い出させた。

つまり本作は強烈な印象を読後のわたしに残したのである。

太田母斑は今、レーザーでアザを消すことができるそうだ。主人公は友人にレーザー治療を薦められ、断っている。アザに負けるわけにはいかないと。しかし普通に考えると、アザが気になるなら、消してしまえば良いのである。そこに勝ち負けはないし、これは整形云々の倫理観とも違う話である。アザに勝ち負けという考えを抱いてしまっていること自体、強いコンプレックスの表れなのだ。

レーザー治療の技術は、わたしの子供の頃はどうだっただろう。治療できるなら、彼は喜んでしただろうか。

万人にとって、この何とも言えない痛切さが伝わるのかどうかはわからない。

しかしわたしは言いたい。これは極私的傑作である。わたしの心の、どこか深いところを痛切に揺さぶる作品である。

余談

押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』に通ずるところがある。

incubator.hatenablog.com

佐々大河『ふしぎの国のバード』6巻

ふしぎの国のバード 6巻 (HARTA COMIX)

ふしぎの国のバード 6巻 (HARTA COMIX)

Wikipediaの紹介文を丸々引用したい。

19世紀に実在したイギリスの女性冒険家イザベラ・バードの著書『日本奥地紀行』を下敷きに、主人公のイギリス人女性イザベラ・バードが通訳ガイドの日本人男性・伊藤鶴吉と共に、横浜から蝦夷地へと旅する姿と、旅先で出会った明治初期の日本の文化や人々をフィクションを交えて描く。史実においてバードが日本を訪れたのは46歳のときだったが、本作においてバードは若い女性として描かれている。また、日本語を理解できないバードの視点に立って描かれており、日本語による会話は、ぼかされた表記として表現されている。

まだ欧米化されていない昔ながらの日本が描かれており、我々21世紀の日本人から見ても、当時の日本は「異文化」である。

爆発力のある作品ではないが、凄く面白い。

堀越耕平『僕のヒーローアカデミア』24巻、古橋秀之+別天荒人+堀越耕平『ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』7巻

僕のヒーローアカデミア 24 (ジャンプコミックスDIGITAL)

僕のヒーローアカデミア 24 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- 7 (ジャンプコミックスDIGITAL)

個人的に最も続きが楽しみな漫画のひとつがヴィジランテである。要するに本家の面白さをスピンオフが超えてしまっている。通常ほとんど有り得ないことなんだけどね。

本家のヒロアカの方も、最近また面白さが戻ってきている気がするんだけども、24巻は丸々ヴィランしか描いてないとか、どうもピントがズレてんだよな。

遠藤達哉『SPY×FAMILY』1巻

ある一流スパイが、(ターゲットに近づくため)子供を名門校に入れる必要があるっちゅーことで、孤児院の中から頭の良さそうな子供を見繕って養子にしたら、その子供は他人の考えが読み取れる能力者だった。しかも名門校に入るには奥さんも必要だと言うので、たまたま知り合った女性が今度は暗殺者だった……という、まあ訳のわからん疑似家族なわけだが、これが面白いんだな。テンポが良いのかな。

昨日のチェンソーマンでも言ったが、やっぱりジャンプは奥が深い。

本作も面白いし、チェンソーマンも面白いし、呪術廻戦も面白い。

つってもチェンソーマンや呪術廻戦は荒々しい感じだが、この作品は何とも言えぬ安定感がある。

藤本タツキ『チェンソーマン』3巻

チェンソーマン 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)

チェンソーマン 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジャンプらしからぬ、独特の荒々しい絵柄と展開。

主人公も今のところ、絶妙に「感情移入」させてくれない。馬鹿すぎて。絶妙。

今、マガジンで読みたい作品はあまりないが、ジャンプはあるな。買っても良いぐらい。何だかんだでジャンプは奥深いね。

板垣巴留『BEASTARS』14巻

BEASTARS 14 (少年チャンピオン・コミックス)

BEASTARS 14 (少年チャンピオン・コミックス)

草食獣と肉食獣が歪な倫理観の下、共生するという、かなり独特な世界観の作品。

高校での食殺事件(肉食獣が草食獣を食べてしまうこと)が何とか解決したが、それで終わりではなく、この世界は更に広いことが示されている。

12巻ぐらいから実質的には第2部って感じなのだが、(実質的な)第2部はどこまで広がるんだろう。

面白いなあ。

山本崇一朗『それでも歩は寄せてくる』1巻

それでも歩は寄せてくる(1) (週刊少年マガジンコミックス)

それでも歩は寄せてくる(1) (週刊少年マガジンコミックス)

男女逆転版の『からかい上手の高木さん』だと思えば、ほぼ適切な作品紹介になる。

たった一人しか部員がいない将棋部だか将棋同好会に、歩という男子が入部して、女性部長と延々将棋をする。その中で歩がグイグイ攻めてきて、女性部長がドギマギする、という、ただそれだけの話である。

驚くほど『からかい上手の高木さん』と酷似している。

実は『からかい上手の高木さん』は一大ブームとなり、『イジらないで、長瀞さん』だの『やんちゃギャルの安城さん』だのと、もうタイトルから設定から丸パクリの「おまえらプライドないんかい!」という二番煎じ漫画が幾つも出ているわけだが、山本崇一朗という漫画家の凄いのは、それにめげることなく、それどころか『からかい上手の(元)高木さん』という三番煎じの漫画を生み出してフォロワーの漫画家に描かせていることだ。この10年ぐらい、スピンオフや過去の大作漫画の続編という手法が一般化してきたが、これはスピンオフというような生易しいものではない、絵柄まで「トレースか?」ってぐらい自分に酷似させて、本家本元公認でやらせるのである。

そして今度は男女逆転というネタで四番煎じの漫画を持ってくるという。

この人、商売巧いわ。

山本崇一朗『からかい上手の高木さん』11巻、山本崇一朗+稲葉光史『からかい上手の(元)高木さん』6巻

からかい上手の高木さん(11) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

からかい上手の高木さん(11) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

からかい上手の(元)高木さん(6) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

からかい上手の(元)高木さん(6) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

男子中学生の西方くんが、隣の席に座っている女子中学生の高木さんに延々からかわれるだけの話。いや、正確に言うと、西方くんは仕返し(?)として、高木さんをからかってやろうと色々と考えるんだが、ほとんど全て見抜かれ、逆にからかわれる、というのがメインの構造である。ストーリーらしきものはほとんどなく、ほとんどこの展開が1話完結で続く。もはや様式美と言っても良い。

実のところ、当初はあまり入り込めず、すぐに飽きて放り出したのだが、一周回って面白いと感じだしてからは、何度読んでも、何巻を読んでも面白い。なぜなら様式美だから。吉本新喜劇は先週も今週も面白いし、サザエさんにストーリー展開がないと怒る人もいない。ある種の諦めさえ身につければ、この作品は実に面白い。いや、ほんとに。

なお『からかい上手の(元)高木さん』は、西方くんと高木さんが結婚して「ちー」という娘がいる幸せな家庭を築いているのだfが、それでもやっぱり西方くんは(元)高木さんにからかわれ続けている、という様式美。

天原+masha『異種族レビュアーズ』3巻

異種族レビュアーズ 3 (ドラゴンコミックスエイジ)

異種族レビュアーズ 3 (ドラゴンコミックスエイジ)

1巻に書いたこととほぼ同じなのだが、もう1回書く。

本作の舞台は、人間だけではなく、エルフだのドワーフだのサキュバスだのも普通に生活しているファンタジー世界である。主人公たち御一行は、様々な種族の風俗を体験するのだが、体験する側も店側も、種族がたくさんんいるので、種族によって感じ方が違う……という設定の漫画。

まあ下ネタと言っちゃ下ネタなんだが、どちらかと言えば思考実験めいた面白さがある。例えば、エルフというのは300年でも500年でも生きるというのがファンタジー界隈での通説で、本作もその設定を踏襲しているわけなのだが、人間から見ると300歳のエルフは「見た目が若い」から「美しい」わけである。しかし人間よりも嗅覚が遥かに優れた他の種族や、そもそも美醜の観点が人間とは異なる種族は、300歳のエルフを「美しい」と想うのか、それとも「とんでもないババア」だと想うのか? といった具合である。

やや出オチ感の強い漫画だが、3巻でも相変わらずの面白さを継続しており、素直に楽しめる。でも正直そろそろネタ切れだろうから、4巻か5巻で大きな動きがあって完結になるんだろうな、とは想う。

ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』31巻

おおきく振りかぶって(31) (アフタヌーンコミックス)

おおきく振りかぶって(31) (アフタヌーンコミックス)

もうファンの立場で言えることは、ひとつしかない。

編集者仕事しろ!

読者なめんな!

……勢い余って2つ書いてしまった。

田島列島『水は海に向かって流れる』1巻

水は海に向かって流れる(1) (週刊少年マガジンコミックス)

水は海に向かって流れる(1) (週刊少年マガジンコミックス)

『子供はわかってあげない』という大傑作漫画を生み出した田島列島による最新作。

incubator.hatenablog.com

一言で書くと「ある男子高校生を中心とした青春群像劇」ということになるのだろうが、なかなか一筋縄では行かない設定がてんこ盛りで、地味なんだけど目が離せない。

しかしアレだ、田島列島がまさか週刊少年マガジンで連載しているとはね。明らかにじっくり話を作っていくタイプなので、どこまで週刊連載できるかわからんが、どうか潰れないようにと想う。ここまで心配なのは、『ヴィンランド・サガ』を描いている幸村誠以来だな。まあ幸村誠は早々に週刊連載を断念したわけだが。

かねもりあやみ+久住昌之『サチのお寺ごはん』6巻

サチのお寺ごはん 6 (A.L.C. DX)

サチのお寺ごはん 6 (A.L.C. DX)

何事にもアンラッキーで幸(さち)の薄い主人公が、精進料理を嗜む住職と知り合い、精進料理を通して心を整えていく物語。

二股をかけられるという不幸から、主人公も段々と立ち直ってきて、何となく周囲が恋愛モードに。

そろそろ完結か?