藤原和博『世界でいちばん受けたい授業』

何となく通り過ぎてきた現代社会の問題をもう一度学び直すため、あるいは暗記偏重の既存の学校教育に代わる新しい社会科の授業を構築するため、藤原和博と宮台真司が「人生の教科書」と銘打たれた2冊の本を出版した。『よのなか』と『ルール』の2冊である。こういった身近なところから出発する授業なら、学校の勉強にウンザリしている子どもも確かに先を争って学びたがるだろうな――そう思ってしまうほど、この2冊はとても面白かった。

incubator.hatenablog.com

incubator.hatenablog.com

そして本書は、「足立十一中[よのなか]科」と銘打って、実際に東京の公立中学校で『よのなか』で書かれている内容を実践した、渾身の1冊である。本書で展開されている授業風景は、決して大げさではなく、率直に「ここまで素晴らしいのか!」と感動してしまうほど斬新で面白い。実際どんな授業なのかは本書を読んでほしいのだが、ひとまず本書の「あとがき」を引用しておきたい。

 東京都足立区立第十一中学校で始まった[よのなか]科の授業(略)は、社会科の先生とビジネスマンの私がタッグを組んで進める中学3年生向け「選択社会」の正規の授業で、シミュレーションやロールプレイングというゲームの手法を応用して、子供たちにとって身近なものから[よのなか]との関わり方を学べるようにするものです。

 たとえば、「公民」の検定教科書の中では、経済の章は「貨幣とは」という面白くもなんともない解説から始まりますが、[よのなか]科では、「1個のハンバーガーから経済のすべてを語る」というテーマで、自分が店長になってみたら地図上のどんなところに出店するかというゲームから始めます。

 グループ討議やプレゼンを多用して、実社会で役立つ“集客力”や“稼働率”という概念を学ばせながら「価値の差異」という経済の本質を理解(ゲット)させるわけです。同様に、「価値の等価」なものをどのように交換するかという、大人にとっても手強い為替レート問題は、「ビッグマックの日米での価格の比較」から割り出していく方法が採られます。

 ときにマクドナルド社の仕入れの担当者が訪れて、年に1億ドルの牛肉やポテトの輸入をしているマックでは、1ドルが1円違うと1億円の利益の差が出ちゃうんだという生の声を聞かせたり。

 こうして、[よのなか]のダイナミズムを実感させながら、多様な大人モデルを登場させ、生徒たちに、[よのなか]を構成している多様な仕事、さまざまな生きがいの持ち方や、一人ひとりに固有のキャリアがあるという、素直な「キャリア観」をイメージ豊かに持ってもらう。そして、ゲストティーチャーたちが生徒たちのグループ討議にも口を出すことで、彼らと[よのなか]科との“リンク”が多様に張られていく。

教育改革で始まった「総合学習」の時間も、現在の勉強の単なる延長に過ぎない場合や、教員の無能のせいで授業として成立していない場合が、実際かなり多くあると聞く。また、ただ生徒を楽しませるだけの、意図や効果の全く感じられない授業もあるようだ。しかし、通常授業の単なる延長ならば、通常の授業で充分だし、授業として成立していない授業や効果のない授業であるならば、正直「総合学習」を行う必要は全然ないだろう。

対して[よのなか]科の授業は「まず知識ありき」ではない。シミュレーションやアウトプットといったゲームの手法を取り入れることで常に生徒の興味を喚起しつつ、知識の羅列ではなく身近な話題から入り、学問の概念を体得してもらう。そして知識の「インプット」にとどまることなく、ディベートやゲームを通して「アウトプット」や「編集」を必ず行う。

つまり[よのなか]科は、「学習かゆとりか」で無様に揺れる現在の「まず知識ありき」な日本の教育システムとは、ベクトルの向きが全く異なっているのである。[よのなか]科とは、知識や概念が生活と結びついていること、知識や概念を現実に適用できること、実際に適用する方法、そういった「知識・概念」と「生活」との関係性を学び合う場なのだろう。

反復学習と知識習得と[よのなか]科的総合学習、これら全てを組み合わせてこそ教育の効果は高く発揮されると俺は思う。2002年の教育改革には賛否両論渦巻いているが、著者の藤原和博は、2002年以前から、民間人の立場から積極的に教育改革に一石を投じてきた。藤原和博は別の本で「革命はひとりからはじまる」と言ったが、確かに藤原和博は暗澹たる教育界を確実に変え続けている。必読。