実に下らない。
だが、それが良い!(断言)
「ちょいエロ」よりは結構エロいので、その方面が嫌な人は素直に回れ右すべき案件なのだが、個人的には結構ツボ。
4巻早く読みたいなー。
実に下らない。
だが、それが良い!(断言)
「ちょいエロ」よりは結構エロいので、その方面が嫌な人は素直に回れ右すべき案件なのだが、個人的には結構ツボ。
4巻早く読みたいなー。
主人公(アルテ)は10代半ば(物語序盤で16歳だったかな)の少女で、貴族出身(ただし父親が死んでお金や格はだいぶ没落した貴族)である。しかし階級に依存せず、また女としてではなく一人の人間として自分自身の力で自律的に生きていきたいという思いが非常に強かった。その思いが溢れ出した結果、アルテは子供の頃から好きだった絵画の素養を糧に生きていきたいと、自宅の屋敷を飛び出してしまう。そしてフィレンツェ中の画家工房を回るのだが、「女だから」という理由で門前払いの連続の中、唯一「女だから」という理由で拒絶しなかったレオの工房に弟子入りをして、画家見習いとして活動を始める。アルテは、自分のために良くしてくれる親方のレオにあっさり惚れてしまうが、自分の一番の目的は色恋沙汰ではなく女性画家として生きていけるようになることなので、以降はその恋心にフタをして一心不乱に画家見習いとして修行をする……とまあ、こんな感じのアウトラインである。
わたしは女性が男性の所有物として抑圧されていた時代は確かにあったと思っている。で、面白いことに、その中で女性が不幸だったかと問われれば、おそらく必ずしもそうではなく、多くの女性は抑圧状態を当然のものとして受け入れて一生を終えていただろう。一方、本作の主人公アルテは、そうした生き方は嫌だとして、自分の生き方を自分で決め、自律的に生きようとする。
でもこれは難しい。
女性だから難しいわけでも、昔だから難しいわけでもない。今も昔も、そして男も女も、自分らしく自律的に生きるのは難しいのだ。社会に組み込まれた瞬間、なぜか人はがんじがらめだ……。
さて、ネタバレになるから細かくは語らないが、このアルテという画家見習いは当初の「がむしゃらだっただけの時代」から、じき変貌を遂げる。したたかに変貌する。昔は「女性」で「貴族」の画家見習いなんて駄目だろうと蔑まれていたが、今や画家見習いでありながら顧客を何人も抱えるようになる。
それは何故か?
自律的な人間は、したたかでなければならないなあ、と思った次第。
かなり面白い作品なので、ぜひ読んでほしい。大推薦。
ボールルームへようこそ(10) (月刊少年マガジンコミックス)
競技ダンス・ソシアルダンスは、いわゆる社交ダンスと呼ばれるものと言って良いだろう。ただ、ここで「いわゆる」と書いているのは、社交ダンスと聞いて多くの人が思い浮かべる、くたびれたおじさんが束の間の心の安寧を求めて若いお姉さんとゆったりダンス的な『Shall we ダンス?』の文脈や、上流階級の男女が嗜みとして身に付け、パーティーの場でゆらゆらと踊る文字通り上流階級の社交としての文脈ではない、ということである。あくまでもスポーツとしての強度や正確性が求められるものだ。
さて、本作は非常に面白いのだが、理由は知らないものの作品刊行ペースには物凄く問題がある。わたしが本作を手に取ったのは確か7巻あたりの刊行時だったように思うが、9巻の刊行が物凄く遅れてしまった。感覚的には3年ぐらいかかったんじゃないかな。感覚だけど。で、これはもう終わったかなと諦めていたのだが、9巻が発売されて、悪くはないけど雰囲気が微妙に変わったのをよく覚えている。で、そこから数年。もう昔すぎて覚えていないがこの辺でアニメ化もされたかな、でももう諦めも通り越して半分忘れていたのだが、やっと10巻が発売。こう遅いと、正直こちらのテンションを上げていくのが難しい。面白い作品だと、最新刊を読み終えた瞬間に「そら無理だけど早く続きが読みたい」とどうしても思ってしまうものだが、本作については「続き、発売されるのかな」としか思えなくなってきた。
いや、面白いんだけどね。
で、主人公の弟は、色々あって日本で住んでいたが、行方不明に。何かの事件の被害に遭ったのでは……と主人公は心配するも、実は逆に、どうやら弟はサイコパス的なとんでもない嘘つきで、しかも被害どころか人を殺して回っているのではないか……という謎というか不安だけが提示され、延々と事件に立ち入ることなく遠回りしている感じ。
この「もったいぶった感じ」がいつまで続くのかな。
ハルタらしく、絵は抜群に巧く、雰囲気もあるが、弟が人を殺してるかもしれないってのに兄も爺さんも、のんきなこった。
スパイ・暗殺者・超能力者が互いの秘密を隠しながら、かりそめの家族を作っていくというコメディ漫画。良い具合に肩の力が抜けており、めちゃくちゃ面白い。こういうのがスッと出て来るあたり、ジャンプの底力を感じるなあ。
7巻から藝大編が始まるので、その辺のストーリーは察してください。
凄く面白くてヒリヒリしたんだが、改めて冷静に振り返ると、素人が1年ちょっとで現役合格するのってリアリティがないな。まあ漫画だから良いか。でも、そもそも、そのような「リアリティがない」形で藝大に入るのは、果たして良いことなのだろうか。普通に考えたら、一発勝負で力を出して合格できたとしても、大学に入った後ついていけないよね。
アニメ化もされてなかなか評判を呼んでいるようだ。
個人的には、やや設定が気になる点もあるのだが、概ね面白い。
新しく手に取った作品67冊と、続き物の作品33冊。
澤江ポンプ『パンダ探偵社』1巻、Batta『狐のお嫁ちゃん』1〜5巻、小林俊彦『青の島とねこ一匹』1〜2巻、小堀真『見上げると君は』1巻、一智和智『便利屋斎藤さん、異世界に行く』1〜2巻、一智和智『剥かせて!竜ケ崎さん』1巻、迂闊『日々是平坦』1〜3巻、谷口菜津子『彼女と彼氏の明るい未来』1巻、菅原亮きん『猫で人魚を釣る話』1〜3巻、長門知大『将来的に死んでくれ』1巻、TNSK『うちの師匠はしっぽがない』1巻、あまからするめ『うちのアパートの妖精さん』1〜4巻、足袋はなお『とけだせ!みぞれちゃん』1巻、テンコ『北海道は今日も平和です』1巻、白井慶太『ヌードルヘル』、安島薮太『クマ撃ちの女』1巻、日之下あかめ『エーゲ海を渡る花たち』1〜3巻、殿ヶ谷美由記『だんだらごはん』1巻、桜井海『おじさまと猫』1〜4巻、小賀ちさと『只野工業高校の日常』1巻、根田啓史『異世界行ったら、すでに妹が魔王として君臨していた話。』1巻、桜玉吉『日々我人間』、小梅けいと+スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』1巻、島田虎之介『ロボ・サピエンス前史』上下巻、平沢ゆうな『鍵つきテラリウム』1〜3巻、野人+小林嵩人『野人転生』1巻、佐原ミズ『尾かしら付き。』1巻、光永康則『時間停止勇者』1巻、田川とまた『ひとりぼっちで恋をしてみた』1〜2巻、とよたろう+鳥山明『ドラゴンボール超』1巻
藤本タツキ『チェンソーマン』5〜6巻、芥見下々『呪術廻戦』8〜10巻、栗山ミヅキ『保安官エヴァンスの嘘』10巻、保谷伸『まくむすび』2〜3巻、信濃川日出男『山と食欲と私』11巻、里好『踏切時間』3〜6巻、ゆうきまさみ『新九郎、奔る!』3巻、山本崇一朗+稲葉光史『からかい上手の(元)高木さん』8巻、あfろ『ゆるキャン△』9巻、アキリ『ヴァンピアーズ』2巻、カルロ・ゼン+東條チカ『幼女戦記』17巻、板垣巴留『BEASTARS』17巻、浜田よしかづ『つぐもも』24巻、吉田丸悠『大上さん、だだ漏れです。』7巻、大童澄瞳『映像研には手を出すな!』5巻、こざき亜衣『あさひなぐ』32巻、小林有吾『アオアシ』19巻、ヤマシタトモコ『さんかく窓の外側は夜』8巻、安部真弘『あつまれ!ふしぎ研究部』8巻、小山宙哉『宇宙兄弟』37巻、雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』4巻、山本崇一朗『それでも歩は寄せてくる』3巻、岩本ナオ『マロニエ王国の七人の騎士』4巻
裁判官や書記官にスポットライトを当てて、彼らの物語を紡いでくれていたのが本作である。
しかし裁判官というのは難しい商売だと思う。裁判官に求められるのは公平・公正な判断である。理不尽から依頼人を守る弁護士や、社会悪を立件に繋げる検事と比べて、裁判官は夜の悪や理不尽と日々接していながら自分なりの正義感をぶつけるところが無い(もしくは少ない)ように見える。
裁判官がたまに行う「説諭」はその典型、というか象徴ではないだろうか。そもそも裁判官は量刑を出せば良いはずであり、説諭とは何だろうと考えると実に奥が深い。いわゆる名説諭と呼ばれるものがある一方で、説諭を意図的に行わない裁判官もいると聞く。また、今後AIが量刑判断をするようになれば、説諭はなくなるだろう。それが良いのか悪いのか、にわかに判断はつかない。
もっと言うと、裁判員制度も難しい。色々と議論されたが、一人の国民として、議論が尽くされたという気は全然していない。けど何となく制度が始まって社会に組み込まれ、何となく「ああ裁判員制度だよね」というレベルでは浸透した。でも裁判員制度の意義は全く浸透していないと思う。
裁判官や司法に関わる何となくの疑問は多いのだが、本作はこの手の疑問を漫画として掘り下げてくれている。こういう作品を読むと、フタをしてきた社会正義への思いが体の中から溢れ出してきて困る。主人公の先輩のエピソードとか正直泣いてしまった。ただ、わたしが本作を知った時には、既に全4巻で完結していた。ちょっと勿体なくないですかモーニングさん。メジャー雑誌でありながら、こういうマイナーだけど社会的に意義のある作品をきちんと連載してくれるのが、モーニングやイブニングだと思っていたのだが。作者が100%満足して完結したのならそれでも良いが、そうでないなら、絶対に復活させるべき作品だと思う。
新しく手に取った作品43冊と、続き物の作品57冊。
新海誠+山口つばさ『彼女と彼女の猫』、がちょん太郎『異世界AV撮影隊』、山本中学『戯けてルネサンス』1巻、脊髄引き抜きの刑『そのうち結婚までいくけど今はまだ(期間限定無料版)』、高橋ツトム『四季彩 高橋ツトム短編集』、コトヤマ『だがしなど』1巻、久住昌之+武田すん『これ喰ってシメ!』1〜2巻、横田卓馬『ポンコツ風紀委員とスカート丈が不適切なJKの話』1巻、山本崇一朗『くノ一ツバキの胸の内』1〜3巻、井龍一+伊藤翔太『親愛なる僕へ殺意をこめて』1〜7巻、高橋ツトム『NeuN』1〜5巻、佐藤二葉『うたえ! エーリンナ』1巻、藤のよう『せんせいのお人形』1〜2巻、鈴木マサカズ『マトリズム』1〜2巻、田島列島『田島列島短編集 ごあいさつ』、じゃんぽ〜る西『私はカレン、日本に恋したフランス人』、柊裕一『履いてください、鷹峰さん』1巻、モリタイシ『あそこではたらくムスブさん』1〜2巻、ペッペ『ミンゴ イタリア人がみんなモテると思うなよ』1巻、星見SK『鬼島さんと山田さん』1〜2巻、柚アンコ『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』1巻、大石日々『プラネットガール』1巻、実樹ぶきみ『SHY』1巻、長蔵ヒロコ『煙と蜜』1巻
こざき亜衣『あさひなぐ』31巻、カルロ・ゼン+東條チカ『幼女戦記』16巻、小坂泰之『放課後ていぼう日誌』5巻、ビリー『シネマこんぷれっくす!』4巻、リムコロ『世話やきキツネの仙狐さん』5巻、山本英夫『HIKARI-MAN』6巻、徳弘正也『もっこり半兵衛』4巻、石黒正数『天国大魔境』3巻、泉朝樹『見える子ちゃん』2巻、石黒正数『木曜日のフルット』8巻、小林まこと+恵本裕子『JJM 女子柔道部物語』7巻、川村拓『事情を知らない転校生がグイグイくる。』4巻、小林有吾+上野直彦『アオアシ』17〜18巻、石塚真一『BLUE GIANT SUPREME』9巻、桜井画門『亜人』15巻、篠房六郎『おやすみシェヘラザード』4巻、ナナシ『イジらないで、長瀞さん』6巻、ヤマザキマリ+とり・みき『プリニウス』9巻、かねもりあやみ+久住昌之『サチのお寺ごはん』7巻、岩永亮太郎『Pumpkin Scissors』23巻、井上堅二『ぐらんぶる』14巻、ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』32巻、タナカカツキ『サ道』3巻、葵梅太郎『エルフと狩猟士のアイテム工房』3巻、殆ど死んでいる『異世界おじさん』3巻、荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険Part8:ジョジョリオン』22巻、山本崇一朗『からかい上手の高木さん』12巻、山本崇一朗+稲葉光史『からかい上手の(元)高木さん』7巻、とよ田みのる『金剛寺さんは面倒臭い』5巻、田島列島『水は海に向かって流れる』2巻、荒川弘『百姓貴族』5〜6巻、泉一聞『テンジュの国』5巻、おおのこうすけ『極主夫道』4巻、南勝久『ザ・ファブル』20巻、板垣巴留『BEASTARS』16〜17巻、錦ソクラ『今日からCITY HUNTER』5巻、久米田康治『かくしごと』10巻、三条陸+佐藤まさき+石ノ森章太郎+塚田英明+寺田克也『風都探偵』7巻、服部昇大『邦画プレゼン女子高生 邦キチ! 映子さん』3巻、白浜鴎『とんがり帽子のアトリエ』6巻、ジョージ朝倉『ダンス・ダンス・ダンスール』15巻、Cuvie『絢爛たるグランドセーヌ』14巻、野田サトル『ゴールデンカムイ』20巻、原田尚『サイクリーマン』2巻、はっとりみつる『綺麗にしてもらえますか。』4巻、水あさと『異世界デスゲームに転送されてつらい』3巻、緑山のぶひろ『罠ガール』4巻、白井弓子『大阪環状結界都市』3巻、羽海野チカ『3月のライオン』15巻
「フロー現象」という本作独自の概念が中心に置かれているが、これ、どう説明したら良いんだろう。
少なくともチクセントミハイの提唱する「フロー(ゾーン、忘我)」とは関係がない。
空間というのはゆらぎを持つもので、ときにバランスを崩して形を変えてしまうことがあり、これを浮動化またはフローと呼ぶ……といったことが、この世界の理科の教科書には書かれているそうだ。具体的には、ある一部分の桜だけが年中なぜか満開だったり、三叉路(Y字路)が七叉路になったり、物体のカドが全て丸くなったり、35歳の女性の姿形だけが10歳ちょっとの見た目に若返ったりと、まあ訳のわからない不思議な現象を引き起こす。これらは見える人にだけ見える幽霊のようなものではなく、またオカルトのようなものではなく、れっきとした「自然現象」であり、フローに遭遇した人々も「迷惑だな、けど仕方ねえな」といった感じで受け入れている。
崩れたバランスはいつか必ず元に戻るのだが、いつ戻るのかはフロー次第というところも大きい。だが主人公のようなフロー処理業者は、感覚で、このフローがどれぐらいで元に戻るのか大まかには予測することができる。またフローには幾つかの種類があるようで、例えば人の思念をきっかけに発生したフローは、その思念を解きほぐせばフローも元に戻ることがある。第1話で出てきた「三叉路(Y字路)が七叉路になる」という現象は、ある人物の将来への不安が引き起こしたもので、その悩みに付き合って解きほぐすことで、早期にフロー現象は解決した。
……と、一定のルールはあるようだが、全てが読者に開示されているわけではなく、分かるようでわからないような設定だ。この辺は作者の出世作『蟲師』にも通じるところがある。まあ面白くなるかどうかは作者の腕前次第ということになりそうだ。
なお、Amazonを読むと「蟲師のような作品を期待していたのに!」ってので低評価をつけている方が多いが、本作は蟲師とは端的に別作品であり、勝手に期待して勝手に低評価をつけるというのも非道い話である。ただまあ、蟲師はやや寓話的なところがあって、人間の業が見せつけられるケースや、善き行いをしても蟲によってそれが台無しにされるようなケースが多々あった。それに比べると、本作はもう少しほのぼのしている。
僕のヒーローアカデミア 25 (ジャンプコミックスDIGITAL)
24巻から25巻にかけて延々とヴィラン(敵)にフォーカスしているが、そもそも本作の主人公はヒーローを目指す少年だ。ヒーローvsヴィランというのは大人の世界で、そこに無理やり、学ぶ存在であるはずの学生を巻き込んでいくのか、どうしてもピンと来ない。
ヒロアカのスピンアウトである『ヴィジランテ』はその辺すごくよく練られていると思うんだけどね。ヴィジランテは本家を超えたスピンオフ作品というので、個人的には凄くお気に入りである。