中原淳『サーベイ・フィードバック入門』

んー、まあまあ。著者は本の出版に慣れて、キャッチーな本を作るのに慣れてきたな……と思いながら最初は読んでいたのだが、読み進めるうちにどんどん引き込まれていった。例えば、序盤でサラッと「コレクション効果」(サーベイで質問する内容自体がメンバーへの働きかけになる)といったサーベイの効果を説明しているが、これはなかなか重要な指摘だと思う。

また著者は誤ったサーベイ・フィードバックが引き起こす病として以下の8つを挙げているが、これもサーベイを取り巻く実態と合っていてなかなか良い。

  1. サーベイすれば現実は変わる病(データ万能主義に陥り思考停止する人たち)
  2. 項目が多すぎてわからない病(やたらめったらデータがあっても使えない)
  3. データが繋がっていない病(組織のデータは「一元管理」しないと活かせない)
  4. サーベイに正解を求めてしまう病(サーベイから「絶対の正解」が得られることはない)
  5. サーベイ結果を放置してしまう病(やりっぱなしのサーベイはかえって逆効果!)
  6. データをむやみにとりすぎ病(高頻度サーベイの知られざる弊害とは?)
  7. サーベイは1回やればOK病(「リバウンド」は組織でも起こりがち)
  8. 数字ばかり気にしすぎ病(数字は「組織のすべて」を反映してはいない)

特に1は、わたしを初めとしたコンサルの多くが罹患しているだろう。正確には「サーベイすれば現実は変わる病」ではなく、その前段階である「サーベイすれば現実がわかる病」だ。わたしは「ありもの」のサーベイではなく、仮説や目的に基づくオーダーメイド型のサーベイを推進することもあって、その結果「現実がわかるように設問設計するのだから当然わかるだろう」と思っている。しかしそれは傲慢であるとも言える。不慣れな人間が限られた期間でサーベイを作り込んでも、あまり大した結果は出ない。

中原淳+島村公俊+鈴木英智佳+関根雅泰『研修開発入門 「研修転移」の理論と実践』

研修開発入門 「研修転移」の理論と実践

研修開発入門 「研修転移」の理論と実践

研修転移(Transfer of training)とは「研修で学んだことが現場で実践され、成果が生み出されること」であり、つまりは研修の本質とも言えるものである。企業研修は原則として、学習者の自己充足的なものではなく、あくまでもビジネスにプラスのインパクトを創出してもらうために会社が企画・実施することだ。したがって単に学べているだけでなく、それが現場で実践され、現場にポジティブな影響を及ぼす(もっと言うと成果が出る)ことが不可欠だ。しかしながら、これはもう研修の宿命と言うか、ずーっと何十年も研修と現場には断絶があり、世界中で研修転移が成功している企業は稀なのである。

書名にもある通り、この古くて新しい「研修転移」というテーマにフォーカスしたのが本書である。1章は研修転移の理論的枠組や歴史について解説し、2章は日本における研修転移の実践事例、3章は企業の人事担当者などによる座談会である。

2章補足

事例はファンケル・ヤマト運輸・アズビル・三井住友銀行・ニコン・ビームスの6社。以下、6社のポイントをわたしなりに整理するが、ここでのPointはあくまでわたしが感じたことで、著者たちが「すごいですよねー」と言っているPointとは必ずしも一致しないことを申し添えておきたい。著者の狙いを極力尊重して書いたが、わたしの目からは正直「そんなこと最先端と言われても」というのが幾つかあったので、そういったものは外したり、逆に追加したりした。

  1. ファンケルの事例のポイントは「反転学習」である。これは要するに、予習段階で予め研修内容をテキストや映像で学び、授業では演習や、予習段階でわからなかったことの質問回答や意見交換をするというものだ。授業と宿題の位置づけを逆にすることから、反転学習あるいは反転授業と呼ばれる。わたしは子供の頃から、テキストをさっと読めばわかることをだらだら画一的に説明されたり板書されたりするのが本当に嫌だったので、少なくともわたしには合っているのだが、これを企業研修に適用したのがファンケルである。
  2. ヤマト運輸の事例のポイントは「ペア学習」である。新任支店長とメンターのブロック長がペアで研修受講するというアイデアは秀逸で、極めて効果的に研修受講者の上司を巻き込んでいると思う。こうすることで、部下がどのようなことを学んでいるかを上司が明確に理解することができるし、研修内容に反した指導もしづらくなる。
  3. アズビルの事例のポイントは「受講者以外にも研修内容をオープンにシェアしていること」だろうか。「アズビル・アカデミー」という企業内大学を作って多くの社員を受講させているが、アズビル・アカデミーに参加した人間だけが研修内容を知るという話だと、現場の実践のハードルが上がる。それに対して、研修内容を他の人間に周知し、また興味関心に応じてアクセスできるようにすれば、そういった問題も起こりづらくなるので良いと思う。なお著者たちは「テクノロジーを活用して」云々をこの事例のPointとしていたが、ウェブで研修アンケートを取るといった極めて簡便なものであり正直「は?」である。中原淳は基本的に1章の執筆と2章の事例選定までとのことで、取材や執筆は別のライターがやったとのことだが、ちゃんとチェックしてくれてんですかね。
  4. 三井住友銀行の事例のポイントは「インターバル型研修」である。インターバル型研修自体は(良い試みだと思うものの)特別に珍しいものではない。しかし三井住友銀行では、研修→実践→研修……のサンドイッチにおける実践パートにおいて、所属課長への「インタビュー」や「観察」を明確に組み込むという工夫をしている。これはケース1のファンケルと同様、現場上司を研修に強力に巻き込む効果があると思った。
  5. ニコンの事例のポイントは「指導員制度」である。指導員とは要するに新入社員のコーチやメンターのことで、これ自体は珍しいものではない。5~10年目の比較的若手が選ばれるのと、指導員に選ばれることは一人前の証という位置付けです。さらに指導員制度は40年前から続いており、指導員もかつて新人時代に先輩から丁寧に教わっているわけです。この時の感謝を返報する要素もあり、伝統的な企業の強みが残っていると思いました。勤続年数の短い企業では、この「返報性」を構築するのはけっこう難しいと思います。
  6. ビームスの事例のポイント……一応「手厚いフィードバック」ということになるのだろうか。新人は6ヶ月間のOJT研修を受けるそうだfが、その間は月に1回ペースで、本人・トレーナー・店長・エリア統括マネージャー・部課長・人材開発部担当者が一堂に会するフィードバックの場を設定し、これだけの豪華メンバーから有り難いフィードバックを受け、しかも本人や各上司間で評点の違いがあればその場で話し合って認識を合わせるそうだ。良いのか悪いのかw でもOJTに物凄く熱心だということはわかる。

鈴木克明+美馬のゆり『学習設計マニュアル』

学びというものを、学習環境から包括的に捉えていくアプローチをインストラクショナルデザインと呼ぶ。本書はその入門書と言って良い。編著者の鈴木克明や美馬のゆりの本は何冊か手に取っており、期待していたのだが、よく言えば包括的、悪く言えば表層的であまり深堀りしていない読後感を得た。読みやすいんだけど、実務書ではなく啓蒙書だね。

10年以上前に読んだものだが、インストラクショナルデザインやその実務適用という観点では、以下3冊を挙げておく。いずれも本書の編著者が書いたか翻訳したものである。

incubator.hatenablog.com
incubator.hatenablog.com
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小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』

小林よしのりの著書は本と漫画どちらに分類するか迷うのだが、まあ絵より文字の方が多いぐらいだし、これまでの著書もbookのラベルをつけているので、今回も本として分類。

内容は、一言でまとめると「コロナは風邪」論である。

PCRが無意味、経済を回すことが重要、無責任に不安を煽る羽鳥のモーニングショーが(わたしは一度も観ていないが)無責任で害悪、自粛など不要、各国で置かれた状況が異なるなど、言わんとすることはわかる。

わかるけど、どうもしっくりこない点がある。

例えば、コロナを収束させるには結局、ワクチンを開発するか集団免疫を獲得するかしか無いと著者(および著者と対談した専門家)は説く。最終的には日本人のほぼ全員が罹患するしかないのだと。けど1億人が罹患したら、当初言われていた致死率1%だと死亡者は100万人に到達する。著者は感染者が少ないのに騒ぎ立てて云々と言うが、結局100万人が死亡して社会が耐えられるのかと問われると、わたしは耐えられないと思う。スペイン風邪だってヨーロッパの全人口が罹患したわけではない。

もうひとつ、コロナの場合(感染力が強いからなのか変異を繰り返すからなのかは知らないが)集団免疫が効果を発揮しないのではという話も聞く。

さらに、コロナは後遺症が重篤だという話も聞く。

自粛をやめて経済を回せという主張には概ね同意する。しかし仮に「コロナは風邪」だとしても、社会がコロナ以前に戻ることはないと思う。ソーシャルディスタンスは権利になり、自己責任で確保すべきものにもなり、濃厚接触や3密はリスクのあるものであり、21世紀の新たなマナーになると思う。小林よしのりの描写に書かれていたが、自説にこだわった結果、タクシーの車内でノーマスクで飛沫を撒き散らす小林よしのりのような人間は、はっきり言って老害思想者だと思う。

小林よしのりは「経済を回せ」と言う。わたしはそれに同意するが、タクシーの車内でノーマスクで飛沫を撒き散らす行為が許される未来は、もう戻ってこないと思う。それは先日起こった飛行機でのマスク騒動の2件からも明らかである。社会はあくまでソーシャルディスタンスを保ちながら経済を回すようになるだろう。

村上春樹『村上T 僕の愛したTシャツたち』

村上T 僕の愛したTシャツたち

村上T 僕の愛したTシャツたち

  • 作者:村上春樹
  • 発売日: 2020/06/04
  • メディア: Kindle版
Tシャツ好きな村上春樹が、これまでにコレクションしたTシャツを開陳してエピソードトークする。

良くも悪くもこれだけである。

肩の力が抜いて読めるし、わたしは村上春樹のファンなので楽しめたが、そうでない方はどう楽しめば良いか、正直検討もつかない。典型的なファングッズだね。

オースン・スコット・カード『死者の代弁者〔新訳版〕』下巻

『エンダーのゲーム』の続編、その下巻。

一般的な知名度は、映画化もされた『エンダーのゲーム』の方が高いが、個人的には第二作である本作の方が更に面白い。

アクション満載の『エンダーのゲーム』に比べると本書は静かだが、驚くほど深い余韻がある。

罪と罰、死とは何か、赦しとは、癒やしとは、知性とは、真実とは、誇りとは、他者とは、家族とは……多くの未分化が思いが去来する。

めちゃくちゃ面白い。ぜひ『エンダーのゲーム』から読み進め、本作まで読み終えてほしい。

オースン・スコット・カード『死者の代弁者〔新訳版〕』上巻

『エンダーのゲーム』の続編。

『エンダーのゲーム』を読んだことが前提となった世界観なので、ネタバレを防ぐためにあまり細かく書きたくないのだが、少しだけ書く。

以下、前作のネタバレを含む。

前作のラストで、アンドルー(エンダー)・ウィッギンおよび人類は『エンダーのゲーム』でバガーという知的異星種族を絶滅させる。直接的には人類の危機を排除したのだが、そもそもバガーは人類よりも遥かに高い知性を持った存在であり、既に人類を侵略する意志はなかった。なかったが、絶滅させてしまった。実のところエンダー自身もバガーを絶滅させる意志はなかったのだが(ここは詳細を伏せておく)、結果的にバガーの絶滅に加担したエンダーは、知的異星種族を絶滅させた大罪人の汚名を進んで背負うと共に、「死者の代弁者」というペンネームで『窩巣(ハイヴ)女王』という書物を書き、バガーという失われた種族を代弁する役割を果たす。この書物は人類に大変なインパクトをもたらし、これをバイブルとした宗教のようなものにまで発展し、「死者の代弁者」は宇宙全体で尊敬されるようになる。

それから3000年。人類は銀河各地へと植民地を広げ、ピギー族と呼ばれる第二の知的異星種族と遭遇する。ピギー族は人類ほどの科学力は持っていないものの、知性や言語を持ち、互いにコミュニケーションが取れる存在である。人類はバガーのときと同じ失敗をせぬよう、慎重にピギー族と接している。一方、エンダーは、バガーに対する罪を償うため、様々な星を訪れて「死者の代弁者」として活動するようになる。これは『窩巣(ハイヴ)女王』の著者である死者の代弁者とは別人という設定で、単に役割である。死んでしまった人間が抱えていた真実を、死者の代わりに掘り起こして代弁するという役割で、先ほど述べた宗教的な意味合いを持つ。そして未来の人類における権利である。申請が通れば、誰も代弁者の活動を妨げることはできない。なお相対性理論的なアレで、惑星間を光速に近いスピードで移動している間は時間の流れが遅くなるので、エンダーは3000年経ってもまだ40歳手前で、まだ生きている。しかし3000年前の自分を知っている人間はもう(一緒に旅をしてきた)姉しかおらず、またエンダーが「あのエンダーであること」を知る人ももはや姉しかいない。

このような状況下で、ピギー族を観察・調査してきた人物が、ピギー族に暴力的に殺されるという事件が起きる。ピギー族と人類は共に知性を持つが、そもそもバックグラウンドが全く異なる存在であり、なぜ殺される羽目になったのか、今の人類は全く理解できておらず、遺族は死の真相を明らかにして、なぜ彼が死ぬ羽目になったのかを代弁してほしいと、死者の代弁者のひとりであるエンダーに依頼する――長くなったが、こんなプロローグである。

前作は宇宙空間を舞台としたバトル描写や、その前段としてのバトル・スクールでの生活や訓練の描写が中心であった。「動」である。

一方、本作は、そういったアクションは鳴りを潜め、「静」の物語が展開される。しかし胸を打つ。

『エンダーのゲーム』も傑作だったが、これはさらに超えてきた。大傑作。

オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム〔新訳版〕』下巻

昨日感想をアップしたSF小説の下巻。

天才的才能を見出されたが故に、主人公アンドルー(エンダー)・ウィッギンは地球外生命体の侵略に備えるためわずか6歳でバトル・スクールに編入させられ、兵士としての訓練を受ける。類例のない若さでバトル・スクールを卒業した後も、新たな場所で新たな課題に取り組むことになり、大人たちから優秀な兵士になるための絶え間ないストレッチを受け続ける。

全然関係ない話ではあるのだが、個人的には「少年ジャンプにおける能力のインフレ構造」が頭によぎった。格闘漫画でもスポーツ漫画でも良いが、100のチカラを持った主人公がいたとして、200のチカラを持った敵が登場すると、普通に考えて主人公は負けるはずである。でも負けない。工夫したり、敵の態度に怒ったり、敵の強さをリスペクトしたり、世界の平和を思ったり、友の死を糧にしたりして、とにかく戦いの中で限界を超えて成長すると共に、火事場のクソ力的なチカラを発揮し、200の力を持った敵に奇跡的に勝ってしまう。その直後に、今度は500の力を持った敵が出てくる。主人公のチカラは本来100であり、今まさに奇跡的に、限界を超えて200のチカラを出したところである。500なんてとても出せるはずがない。普通は負けるはずである。でも勝ってしまう。なぜか第2回戦では200のチカラがベースとなり、また色々あって限界突破して500のチカラを持つ敵にも何とか勝ってしまう。すると第3回戦では、今度は1000のチカラを持った敵が……と、どんどん能力がインフレするのである。

閑話休題。言いたかったのは、能力の向上には限界があり、理不尽なストレッチを繰り返して潜在能力を発揮するという発想は、昭和の時代、20世紀では許されたとしても、21世紀においてはたとえ漫画や小説でもあまり気持ちの良いものではないということだ。ただ、この「理不尽なストレッチ」自体が本作において物語構造を決定づけるほどの大きな意義であり、伏線である。個人的には思わず「そう来たかー」と言いそうになった……のはもちろん嘘でわたしは本を読みながら独り言をブツブツ言うようなタイプではないのだが(笑ったり泣いたりはする)、意味もなく立ち上がって部屋を歩き回るぐらいには興奮した。

下巻も後半になると、エンダーを大人たちが過剰なストレッチでいじめ抜く……といった視点からは一段も二段も上の目線で、俯瞰した物語が描かれることになる。地球外生命体とは何か? 侵略とは何か? 対話とは何か? 人類の平和とは何か? なかなか考えさせられた。

一言でまとめると、かなり面白いSF小説だと思う。

オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム〔新訳版〕』上巻

1985年に出版されたSF小説で、執筆時期を考えるとそろそろ古典と読んで差し支えないと思えるものだが、2012年の映画化に合わせて新訳版が発売されたため、比較的若い読者も多い模様。20代の同僚2人から推薦されたこともあって、購入してみたのだが、一気にハマってしまった。

異星人バガーによる二度の侵略を受けた人類は、三度目の侵略に備えるために地球の衛星軌道上に設置したバトル・スクールと呼ばれる施設で、才能のある子供を世界中から選別の上、兵士として訓練している。主人公アンドルー(エンダー)・ウィッギンは、天才的な才能を見込まれてわずか6歳でバトル・スクールに編入させられ、異常とも思える訓練を毎日受けることになる。単に過酷であるだけでなく、当初から司令官の最有力候補であったエンダーは良くも悪くも特別扱いされ、しかし天才的才能があるため不公平とも思える条件の課題をクリアーし続けるが、それにより周囲の妬み嫉みを受け、強い孤独を受け続けることになる――というアウトラインだろうか。

家族とも引き離され(そもそも姉以外とは良好な関係を築けていないが)、バトル・スクールでは「リーダーは孤独に耐えて無理難題に応える存在」という大人たちの問題意識から、常に同僚の少年兵士からいじめややっかみを受ける状態を作り出され、課題も理不尽にエンダーだけが厳しく、またそれを天才的才能で乗り越えてしまうものだから、さらに課題は厳しくなり、同僚の少年兵士からのいじめややっかみや更に大きくなり、孤独が深まっていく。ほとんど20世紀のスポ根アニメかというぐらいの理不尽な仕打ちである上、この鬱屈とした描写が延々と続くため、読みながら10回ぐらいは「昭和か!」「こんな仕打ちで成長すると考えるなど前時代的だ!」と叫びたくなった。読み手としては相当イライラさせられたが、この描写自体に大きな意味があるので、わたしの感想を読んで「読むのをやめます」というのは勘弁いただきたい。物語を読んでイライラするというのは、それほど世界観に没頭させられる吸引力があるということでもあるのだから。

下巻に続く。

電ファミニコゲーマー編集部『ゲームの企画書(1) どんな子供でも遊べなければならない』

名作ゲームのクリエイターへのインタビュー集。本書では、ゼビウス、桃太郎電鉄、不思議のダンジョンシリーズのクリエイター、そして光栄(コーエーテクモゲームスではなく敢えて光栄と書きたい)のツートップから創業秘話から信長シリーズやネオロマンスシリーズの開発秘話を読むことができる。

特に光栄のインタビューは良かったな。創業者でもう「いい歳」なんだが、未だに毎日ゲームしているし、他社のゲームを素直に「面白い」と褒めちぎっている。

架神恭介+辰巳一世『完全教祖マニュアル』

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)

新興宗教の教祖として成功するにはどうすればよいかを解説するという、これまでにない切り口の宗教入門書。

教義の作り方や信者の集め方、お金の儲け方、果ては奇跡の起こし方まで何でもござれだ。敬体(ですます調)での話しぶりをそのまま文章にしたような文体で、「この本のとおりにやればどんな人間でも教祖になれます!」などと涼しい顔で語りかけてくるのだから、人を食ったというか、基本的にはジョーク本の類と言えるだろう。しかし、古今東西、宗教がどのように生まれ伝播していったかを思い返すと、以下も嘘ではなく本当の話なのだから、なかなか侮れない。

  • 日本人は無宗教だと言われ宗教への拒否感は強い人が多いが、一方で年末にはクリスマスの誕生日を祝い(キリスト教)、正月は神社に参拝し(神道)、盆はお寺に墓参りに行っているわけで(仏教)、宗教要素には馴染みがあるし、同調圧力に弱いから、信者を取り込んで教祖としてやっていくことは可能
  • 教義は多少変でも、それっぽい顔をしていたら、信者が勝手に解釈してくれる
  • 断食・食物規制・独自の暦や記念日といった(ごく一般の人と違うという意味で)反社会的なルールや義務を課すことで、コミュニティ以外の人との生活が困難になり、その代わりにコミュニティ内の結束が強くなる

日本は事実、昔から宗教に限らず、マルチ商法や自己啓発セミナーといった「信じる者は救われる」的な信者ビジネスが盛んだ。近年では「オンラインサロン」と呼ばれるより現代的な信者ビジネスにアップデートされていることからも、広い意味での信者ビジネスは今後もめちゃくちゃチャンスがあると思う。

山下貴宏『セールス・イネーブルメント』

セールス・イネーブルメント 世界最先端の営業組織の作り方

セールス・イネーブルメント 世界最先端の営業組織の作り方

  • 作者:山下 貴宏
  • 発売日: 2019/12/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
イネーブルメントとは、有効化するというenableの名詞形である。そしてenableはbe able to ~のableから来ている。en+able+mentだ。

セールス・イネーブルメントのぴったりの訳語はないが、「成果を出す営業社員を輩出し続ける人材育成の仕組み」という意味だそうだ。いわゆる学習する組織とか、営業組織開発とか、そういう文脈で捉えてもらえば良いと思う。内容自体はわかりやすいが、物凄くピンと来たかと問われると、正直「そこそこ」という感じ。

横山禎徳『組織――「動ける組織」のデザイン25のポイント』

組織 「組織という有機体」のデザイン 28のボキャブラリー

組織 「組織という有機体」のデザイン 28のボキャブラリー

  • 作者:横山 禎徳
  • 発売日: 2020/03/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
大前研一に並ぶレジェンドなコンサルタントにして、組織デザインの専門家(組織デザイナー)という触れ込みだったのと、組織デザインは(机上の学問ではなく)高度スキルであるという冒頭の記述に「なるほど」と思い買ってみた次第。しかし内容は、合っているのかもしれないが、著者の思いが先行していて、高度スキルとして整理されたものではない。

ただ一点、

「優しいが実は冷たい」
組織でなく、
「厳しいがどこか温かい」
組織を志向する。

という点だけは、非常に得心した。

わたしも全く同じ感覚を持っているからである。

『SFが読みたい!2020年版』

SFが読みたい! 2020年版

SFが読みたい! 2020年版

  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 単行本
SFマガジン編集部による、2018/11-2019/10の新作SFのブックガイド。

1位の伴名練『なめらかな世界と、その敵』、3位の小川一水『天冥の標』シリーズ、10位の菅浩江『不見みずの月 博物館惑星Ⅱ』とベスト10のうち3冊読んでいた。珍しい。なお極私的には『天冥の標』シリーズが圧倒的第1位だったんだけど、こればっかりはわたしの一存で決まる話ではないので仕方ない。

他にも読んでみたい本が今年はたくさんあるのでメモ。

宿借りの星 (創元日本SF叢書)

宿借りの星 (創元日本SF叢書)

偶然の聖地

偶然の聖地

三体

三体

  • 作者:劉 慈欣
  • 発売日: 2019/07/04
  • メディア: ハードカバー

津川友介+勝俣範之+大須賀覚『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療』

本書の言っていることはシンプルで、保険が適用される治療法(標準治療)が最も優れた治療法である、というその一点である。標準治療はエビデンスも豊富で、治療法も確立している。怪しげな代替療法や、海外でのみ承認された未承認薬や、自由診療や、食事療法では十分な治療は望めないどころか有害ですらあると。それはわかる。凄くよくわかるし、わたしも基本的にはそうしたトンデモを忌避して、科学に準拠したいと思う人間である。

しかしそれでも、親や自分や子供ががんになり、積極的治療は望めませんと言われて、簡単に受け入れられるかと言われると、そんなに簡単な問題ではない。

例えば本書では、緩和ケアも標準治療で、緩和ケアを通じてその人らしい最期を送った人が何人もいると書いてある。しかし自分はともかく、親や子供ががんになり、望むことは何だろうと考えると、その人らしい最期ではない。1日でも長く生きてくれと思うことだろう。自分に対しては延命はしてくれるなと言う一方、親や子供の延命を望む人は多いと聞く。

もうひとつ、統計は過去の問題だし、自分ではない人の問題だ。でも親や自分や子供の命は、統計ではないのである。自分の親にだけは効く代替療法があると信じる人もいるのだろう。

もちろん基本的には本書の内容に同意する。しかし難しい問題だなと思った。